わたしは、現在もカトリック教徒です
カトリック教会の中における”道”の一つを20年間歩み
聖書に書かれている御言葉がどのように”わたし”に於いて実現しているのか?を
注意深く観察しながら毎週2回の集まりと、毎朝の祈りを味わいました
ただ、やはりこの世的にひとが集まるということは危険もあります
それと気づかないうちに少しずつその中にもヒエラルキーのようなものが現れるのです
これには注意が必要です
風がいつも通り抜けること
つまりそれは留まらないことを意識することが大切なのです
道は一つであり、同じ場所につながっているひとりひとりは仲間ではありますが
互いに見つめあうことが時には良くない状態へ続くことがあります
聖書の中では派遣される弟子たちは常に二人ひと組です
一人きりにさせられることは決してありません
わたし達は誰でもごく自然に、パートナーシップを結べる相手を探します
男女間のそれ、親子としてのそれ、教育者と学ぶ者、上司と部下、いずれの場所でも
誰かを必要として生きるように心が突き動かされます
ここで、興味深い話を聞いたことがあるので共有します
仏教徒のお遍路、彼らが掲げているポリシーに「同行二人」というものがあるそうです
それは彼らが信仰している弘法大師がいつも共に在るということを表しているのだと聞きました
それはカトリックにおいても、他のどの道においても同じだと思います
カトリックであれば聖霊、つまり神である愛が常に共に在るということを忘れずにいれば
目に見えるパートナーが現れないとしてもそれを気に病む必要がないと理解できます
つまりひとは誰でも、この世に生まれた以上は孤独ではあり得ないということ
そしてそれを理解すると、不思議と良縁に恵まれるのです
外に何かを求めている間は、それに依存してしまう危険からわたしを守るために
本当のパートナーシップを結べる相手には出会えないと知ることが大切です