「熱が出たから病院に連れて行って欲しい」と息子から連絡がありました。
この子は今年20歳になった子で、高校を卒業後に
身に余る好条件でとある企業に採用されたにも関わらず
半年ほどでそこを出て、風来坊として日々を何処かで過ごしています
家に寄り付かないので、住民票はここにあるけれど実質独り立ちしたようなものですが
具合が悪くなると羽休めにふらりと帰ってきます
この前は救急搬送されるようなバイクの単独事故を起こしたかと思ったら
手術の翌日、とっとと出かけていてそれきり帰ってこなかったり
思うまま望むままに暮らしています
こんな時期ですから、病院で検査も必要であろうし
何より隔離が必要となればその段取りもしなくてはならないこと
そして最大の問題は我が家に残る子ども達に感染させないこと
そのための対応が必要な場面となりました
病院代も当面の身の置き場もないない尽くしの状態のその子に
先ずは伝えておかなくてはならないことは
この世には今のあなたのような状態で生きているひとが五万といる、ということでした
夫だったひとの仕事の関係で、様々な考えのひとに出会えたことをありがたく感じています
借金を重ねて、給与が支払いに流れて行き次の給与までにまた借金をするひと
国民健康保険にすら加入していなくて病院に行けないひと
身の丈に合わない生活スタイルを続けて見映えだけを取り繕うひと。
彼らが不幸だとは思いませんが、常に何かに追われるように暮らすことをわたしは望まないし
今のところわたしの子ども達もそう感じているように見えています
だとすれば自分の生活のどこをどのようにコントロールしたら心地良いかな、を考えることによって
本当の自分が過ごしたい時間、というものが見えてくるのではないか?ということ。
ママはもちろん子ども達を守りたいけれど
あなたのリクエストに対して常にあなたの望む応えを出すとは限らない、ということ。
自分の望む100%の答えは自分しか出せないということを少し考え始めなさい、と伝えました。
そんなこんなの今朝、別の息子の通う高校からメールが配信されました
河川で水難事故に遭った高校生がいるので、子ども達への注意喚起を再度してくださいという内容でした
折しも息子は海に遊びに行くと言い残して出かけたところで
海や川で泳げないわたしは内心とても不安になりました
けれど、憂いていても仕方ないのでここは切り替えです
怖いからこそ、の注意喚起。
自然を甘くみてはいけない、自分の力を過信してはいけない
つまり全てに対する畏敬の念を忘れてはいけない、ということ
そして、今日お伝えしたい最も大切なことは
「最期のときの振る舞い方」を伝えておくこと、です。
ひとはこの世に産まれてきた以上、必ずここを去る日を迎えます
すべての人に必ず訪れる、ということは
その日のために産まれていると言っても決して過言ではありません
自分らしく旅立つために、自分らしく生きるのです
最期の日は突然訪れますが、心配は要りません
必ず、すべての人がその人として最高のタイミングでその時を迎えることが決まっているからです
決まっているなら何も支度をしなくて良い、と考えるなら
それは図らずも最もその人らしいということなのですから心配はいりません
人生とは全てのひとにとって常に最良のものが目の前にあるのだ、と信頼することが大切です
それを知ってもわたしが子ども達に手渡したいのは「安心」です
今日のタイトルを「子どもの安全」としましたが
パーマリンクをご覧になればおわかりになるとおり
「安全を手渡す」というのが本来お伝えしたいことでした
安全、とは許容出来ないリスクがない状態のこと、と定義されています
それは好ましくないことが起きないということではなく
好ましく思えないことが起きたときにそれを許容する余白を持つ、とわたしは読んでいます
具体的に子ども達には
目に見えない世界のことをこのタイミングで伝えています
「もうダメだ、と思ったら神さまに対して『ここにいます!』と叫びなさい」
それだけで全ては大丈夫だから、と。
もちろん目に見えない存在はわたし達を片時も見失ったりすることはありません
問題は、わたし達の方からそれらが見えなくなっているということです
だからせめて最期の瞬間
差し伸べられている手を握り返すように、との祈りを込めてそれを伝えています
母としてもう一つの大切なことは
見送る子ども達は、次もまた同じ姿で会えるとは限らないのだといつも心に刻むことです
それでもわたしはこの瞬間の態度を悔やまないだろうか。
これらのことを忘れずにいれば
親子関係は概ね良好であるはずです。