治水というサインが何のことなのかよくわかりませんでしたがどうやら
痛みを辿ってそこに辿り着くように、とのことです
治水と言ってもそれはたぶん”気”の流れのことで
わだかまり、つまりひとつ処に留まってしまっている感情の岩を
ゴロリと退かしてやれば良いようです
というか、その岩の存在に気がつけば岩は姿を変えるでしょう
治水というのはダムを作るというようなものではなく
流れが流れたいままにする、ということで
あるいはあふれたものが周囲を荒らすように見えることもあるそうですが
大きく見ればそれもまた良いことらしいです
あふれ出るもの、それは感情かもしれませんね
あふれ出ないようにダムを作ることは”流れ”にとっては不自然なことでしょうし
まして別のところに無理やり流れを引導したところで
そうすればあふれ出たものが運んできたもので
結果として豊かになった土地は干上がってしまいかねません
つまり感情があふれてしまっても良いし
それを「良くないことだ」としてねじ曲げさえしなければ
それによって何が起きるのかも静かに考えることが出来るようになります
教育だとか躾という大義のもとで歪められた流れが
あちこちで決壊しているのを目にすることが増えました。
わたし達ひとりひとりの”ほんとうの流れ”を取り戻す時が来たのかもしれませんね