この前のお昼休み、いつものようにスープジャーいっぱいの温かいスープをふうふう飲んでいたら
お昼休みだから!とでも言いたそうに電話が鳴った。
先生たちは給食時間も”給食指導”という名の児童生徒のお世話があって
学校にいる間はお休みの時間なんてありゃしないんだけど。
そんなキツキツスケジュールの合間にかけてくれる電話を取らずにおられようか(笑)
幸いお弁当を食べているわけじゃあないからもぐもぐもぐ…もなくて3コール以内には出られる。
それを見ていた会社のひとに
「お昼はゆっくり休んでくださいねー」と声をかけられる。
ありがたいけど、わたしにとっては会社にいる時間こそが息抜きであり
出退勤時の渋滞は心底ぼんやり出来る至福の時間だったりする。
この時ばかりは自由に思考を巡らせて
まだ朝日が橙色のうちに恋しいあのひとはもうデスクについているだろうか、とか(笑)
夕は夕で今夜の夜ご飯、何にしようかな、子ども達は何を食べたがっていたっけな、とかあれこれあれこれ。
それで、思ったの。
仕事ってなんだろね
対価を得るために(いやいやであっても)向き合う何某かがそれなのかな。
まあもちろん社会通念というかジョーシキとしてはそういう意味でもあるけれど
この世に産まれて来たかった理由、つまり
自分の計画を全うすることで誰かが愛を思い出すこと…
愛に繋がる小さな灯火を揺らすこと、なのかもしれないなと思いました
わたしならそれはきっとおかあさんである、ということ。
兎角この世に渦巻くひとの肥大化した自我というやつは真実を曲解させたくてたまらんわけで
おかあさんには価値がない、生産しない、みたいな論調が消えないところをみるとほぼ間違いない。
てなわけでおかあたんは今日も8時間、息抜きやってきまーす(笑)