ひむがしの
ひむがしの

ひむがしの

のに かぎろひの たつみえて かえりみすれば つき かたぶきぬ

昨日、仕事からの帰り道の背に負ったのは大きく丸い夕陽でした
空いっぱいを茜に染めるそれは
その日一日を温かに過ごしたわたし達の名残の尽きぬのを察したかのように
透明だったひかりをぐぐっと、目に見える温度にまで下げて
さあ夜が来ますよと優しく宥めるかのように見えました
向かう空には仄白いまんまるの月が
自分の”時”を待つかのように静かに浮かんで待っています

転じて今朝

東の空が今日の始まりを告げるかのように再び朱みを帯びて来ると
ぴりりと引き締まった夜の空気もどこか解け始めたようで
振り返ると西の空にはまだまだ明るい満月が傾いているのが見えます

要するに日も月も地球に立つわたしから見える範囲ではそれぞれはそれぞれとして時に追われていて
一日という命の半分ずつを公平にわけて照らしているのが見て取れました
太陽も、月も永遠ではない。けれど永遠。
地球の、ここに立つわたしからそれが見えなくなっても
地球の裏側に立つ誰かにはそれが見え始める。
宇宙的に見ればそれは時を越える、ということなのかもしれません。

地球に立っていながら宇宙を知るとは、素晴らしい恵みなのだと思います
そこは昼も夜もなくただ、それぞれの速さで回るそれぞれの関わりが見えて来るから。

陽が落ちることも、月が傾くことも
再び陽が昇り月が輝き始めることも
それは地球がくるくると回るからそう見えているのだ、ということ。
誰かが旅立つことも、降り立つこともそれは喜びや悲しみでありつつ
同時にその魂の願いであるというただの事実。
おめでとうとありがとうがそこにあれば、あとは全てうまく行く
そんな気がした。

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