お話にならないひと
お話にならないひと

お話にならないひと

それを意図的にするタイプと、意図せずそうなるひとというのはいるとはいえ
話にならないひとというのは存在する

宗教的な思考停止に陥っているひと
規律だとか法律だとかを軸にして思考停止しているひと

言葉には魂が宿っている、というけれど
音としての言語は同じものを使っていても
それに乗せる意味がずれてしまう関係というひとがいる

ひとは互いに互いの音で語るけれども
向き合ったひとがどういうコードを使っているかはだいたいのひとは感じ取っていて
全体として違う調を持っていても一致させたりハモったり出来る相手は直ぐにわかる
ピアノで、転調しながらでも同じ曲を弾けるように
それぞれが自分のコードで奏でているっていうイメージね

で、ここで重要なのは
イ長調なのかロ長調なのかって話が出来れば
合う合わないがすぐわかるし
それでも演奏を仕上げなければとなれば
互いに違いを理解したうえで別のやり方を考えれば良い

ところが世の中には
おい、絶妙にズレとるくせにイ長調名乗ってんじゃねえよというひともいて
幸か不幸かそいつをバンマスに抱えてるオケのような(笑)
マジか…というような超絶ローカルルールを頼りに生きてる集団もあり
これは不幸としか言いようがないけどそれが割とデカめの組織だったりすることもある

まあでもそういう時こそ絶対音感持ってるひとが活躍するでしょう
つまり”意図的に”中途半端なところで調律を揃えてあげられるってこと…
全体として見たときにうへぇ、となるようなものであっても
渦中にあると全くそれに対して違和感を覚えない、というようなひとをうまくエスコート出来る、というか。
別にね、そのままでありたいと決めるならそれも良いわけだし。

で、わたしの周りにもいる。
絶妙にハズしてくるひと

これは手の施しようがないの
なぜかというと、こちらが合わせに行ってるのを感じ取って
わざわざ、明確な意図を持って、はっきりと
しかし巧妙に、普通には感じ取れないレベルでずらして来るから。
つまりそのひとはコミュニケーションを図らないことを意図してるってこと。

彼らがそこまでして他者を受け入れないのは変化が怖いからであって
いくらこちらが怖くないよと手をのべたところで
「怖い」という感情は完全に相手のものなわけで
「わたしが怖いつってんだから怖ぇんだお!」と言われてしまえばはいその通り。

というわけで今のところ共通認識を持つ、ということは諦めています
それがほんとにちゃんちゃらおかしいのが
共通認識持たないと成り立たない関係である、というところで
このひとはいったい何がしたいのかは不明。
まあそれはそれだわね。

向き合わなければならない、というより
向き合おうと自分で課題を決めてきたのだから
それは避けても逃げてもまた、目の前に現れる
たったそれだけのことってわけだけどね

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