高2三女と高1四女、何度言っても見知らぬひととのオンライン交流()が止まない。
何故それが危険なのか、やめて欲しいのか。
わたしが言いたいのはシンプルすぎると思っている
インターネットの世界、全てとは言わないけれど
見知らぬひととオンラインで日々繋がることは
想像もしなかった危険な何かに続く可能性、それは0%ではありえない
99%大丈夫だと思うから心配には及ばないというやつは引っ叩いてやりたい。
それを”安全だ”と評価するのは甘すぎる
この場合、1%でも”よく分からない何か”があるとするなら
それは100%危険。
ゼロイチのどちらかでしかない。
どんな”好ましくない”ことにも意味があり学びがあり
それをその魂が選んでいるということに間違いはないのだから
受け切る覚悟があるなら何も恐れることはない
そういう世界が何なのかを知りたいなら存分に味わえば良いと思っている
ただし、わたしにはまだ守らなければならない子ども達がいるのだ
わたしの家のネットワークを使うな、個人情報を漏らすな。
意図的に漏らしていないと言い切るクソバカ、ネットワークの何をお前が知っているというのか
というわけで話をした結果
「こんな家、直ぐにでも出て行きたいわ」という三女に出て行ってもらうことにした。
なぜ出て行けないと思う?
荷物なら好きなだけ持って行けば良い
今すぐに支度をして、とりあえず繁華街へ向かえ。
夜の街の公園に行って「ババアうぜえ」とでも宣えば
そこら辺にいる、”なんか良さげ”な誰かがきっと声をかけてくれる
ご飯食べる?
夜景でも見に行く?
どっか行こうか?
良いひとだと判断したら誰かれかまわず着いて行けば良い
その先になにがあるのかをイヤと思うまで体験しろ。
家に戻りたいと思うまでその生活を続けろ。
子育て、いよいよ次のステージに上がる三女ターン
パパに離婚されるようなことしたママがうざい?
あれもダメこれもダメ、自由もない家なんかクソくらえ?
一所懸命なんでも手伝っているのに何にもわかってくれない?
けっこう毛だらけ、さあ出てお行き。
温室でぬくぬくしながら文句言ってんじゃねえ
ママも10代でもう家を出ました。はい、あなたもどうぞ
生きていてくれればそれで良いと送り出したとて
それすら叶わぬことがあるかもしれない
ボロ雑巾のようになって山道に捨てられた我が子を認めに行かなくてはならない
そんなことが無いだなんて誰が保証出来るだろうか
受け止め切ろう何が起きても、と自分を鼓舞する
わたしが実際に見たこと聞いたことしてきたことされたこと
辛かったこと痛かったこと怖かったこと
それらから遠ざけようと壁を作って子ども達を守って来た
けれどそれをすり抜けて行く子がいても良い
無事でありますようにと祈りながら、けれど待たずに行こう
わたしはわたしとしてやらなければならないことがあり
三女は三女のターンを受け切らなければならない