例え話
例え話

例え話

ひとの感情はコップの中に入った水のようなもので
その中にはいろーんなものが沈んでいる
出来事はそれに挿さっているマドラーのようなもので
かちゃかちゃとかき乱されれば水は濁っているように見える
けれどどんな濁り水も静かにしていればまた澄んでくる

みたいなことを図に書いてメモとして机上に置いていたのは
20歳の時に受けたシスター達との黙想会。
それを指導したのが、カトリック教徒なら知る人ぞ知る
典礼聖歌の作曲者TS(高田三郎)氏の奥さまの留奈子さん
4年前、静岡で50年ぶりに夫であるTS氏の楽曲を演奏なさったとか。
(三島市かよ…と舌打ち(笑)

そのときの黙想会のテーマは「わたしは誰か」で
聖句をたよりに自分の内側へ向かう旅の始まりだったように思う
で、そのとき既にわたしはインスピレーションを持っていて冒頭のイメージをメモした、というわけ。

前世の記憶だと言うつもりはないけれど
わたしは昔からたとえ話がとても得意。
同じテーマであっても、相手になにが見えていて
全体のどことどう繋げれば(たとえ朧であっても)気づきを得られるだろう、というのがわかる

件のメモも、何の気無しに書き留めただけだったけれど
参加者の女性にいたく気に入って頂き、譲って欲しいと言われたので手渡した
「これはどこで聞いたの?」と彼女は興味深そうに言ったけれど
ううん、それはいま閃いたから書いたんだよ、と答えたわたしに少しだけ驚いて「ふぅん」とだけ言った

今思えばそのメッセージは彼女に必要だったんだろうな、と思う
で、わたしにとってこの回想がどんな意味があるかと言えば
これまで経験してきた諸々を静かに振り返り、自らの中にブレない軸があるのだな、と気づくために必要だったのだと思う

人工的な受胎調整に嫌悪感を抱いていたのは小学生の頃だったし
(いまは、感情としては好きではないけれどそれを選ぶひとのテーマがわかるからまぁ別に、って感じ)
家庭を壊そうとする力が存在していることはもっと幼い頃から気づいていた。

ひとは愛したいのだ。
だから渇望せざるを得ない状況を自ら生み出す

寂しがるひとには
「あなたは愛したいのだ」と伝えることが必要
そして眠るために痛みから解放されなければならない

わたしは子守唄を歌うだろうし
幼子に話すように真実の断片を見せるだろう
そのための力を持っていることはわたしが良く知っている
(他のことは知らんけども)

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