連休中、お昼ご飯はこれと決めているメニューがある。
あーだこーだ考えたくないし栄養のバランスも良いから。
変わり映えはしないとはいえそれなりに工夫はしていて
目先を変えて楽しめるように配慮してある
けど、子どもってすごいよね騙されないのよ。
「これって結局いつものやつじゃん!」
てへ、ばれちゃった?
ていうかそもそも騙す気も隠す気もないもんね(ドヤ)
夜ごはんは毎日ちゃんと違うんだからいろいろ言ってんじゃねえ!
…ということで
「食べたくないひとは食べなくて結構です。」というスタンスでいる。
おなかと背中がくっつくか、背に腹は変えられぬとなるか生きるか死ぬかみたいになって
なんでも良いんで食べさせてつかぁさい、となれば食べてもよろしい。
そしてたいてい夕方には全てが誰かのおなかに収まる。
これと同じことが他にもあって
「どんな仕事でも良いのでさせて下さい」って言うくせに
ほんじゃこれやっといて、と言うと
ぼくの能力はもっと高いのでそんなくだらない仕事は出来ませんとぬかしやがる。
雇い主は試しているんだよ、あなたがどんな気持ちで「仕事をさせてください」と言ったのかを。
天の国のお使いともなればこれはもっとシビアになる。
置かれた場所であなたとしてどのくらい誠実に”つまらない仕事”をこなしたかを見られている
大切な仕事を預けようとすればするほど、雑用は増やされる。
目的地の方角をナビが指していても延々と続くくだらない平凡な道を歩かされる
来る日も来る日も変わらぬ景色が続く退屈極まりない道を
あなたがどのような心持ちで辿ったかのデータを集積し
天はその先にこそ、あなたの真価をもって挑む課題を見せてくれるのだ
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主人は言った。
忠実な良い僕だ。よくやった。
お前は少しのものに忠実であったから、
多くのものを管理させよう。
主人と一緒に喜んでくれ。
〜マタイによる福音書 25章21節〜
少しのものに不誠実な僕に多くのものを預ける主人が何処にいるであろうか