土葬か火葬か
土葬か火葬か

土葬か火葬か

またはそれ以外か。
わたし自身のそれについては残ったひとに選んでもらって構わないと感じている
たとえ火葬されたとてそれが”かの日”の復活に対してなんの影響もないとは知っている
けれどもし叶うのなら見送るひと達を土葬に出来たら幸いだなぁというのも本音。

永遠の生命を知っていても
死は魂が肉体を脱いでこの世からあの世へ居を移すだけであると知っていても
もしわたしの大切な誰かを送り出すその寂しささえ拭いきれぬ間にこの手で
その愛しい肉体を”破壊”しなくてはならないのはあまりに辛い。

火葬場で我が子なり我が親なり
別れ惜しむ、そこにすら到達し得ない混乱の中
愛するその身体を炉に送り点火のスイッチを押す重圧になど耐え得るか。

いざその場に於いて、気でもふれぬ限り…と前提して
もし成し得ても、その日その時以降わたしのこころも死んでしまうのではないかと、
うーむ。それについて今は深掘りするのはやめよう。

で、本題。
カトリックだってね、土葬したいのよ。
だからさせてよ。ってだけの至ってシンプルなお話

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA