聴く力
聴く力

聴く力

聴く、は技術です。

日本語って素晴らしいなぁと日々感じています
漢字、平仮名、片仮名を織り交ぜ
謙譲語、尊敬語があり丁寧語まである。
主語となる一人称は数限りなくあり
色の表現だって実に繊細です

さて、「”聴く”は技術」ですが
聞く、とは何か違うらしい…ということは
これまでも耳にする機会はあったのではないかと思います
聞く、は(多くは)耳という器官を通して伝わる振動を感じ取ること
聴く、はその振動に含まれるものを読み取ろうと積極的に関わること

つまりひとの話を聞く、のか聴くのか?
みたいな話を何処かで聞いたことがありますが
そうそう毎回めっちゃ必死に傾聴する必要は実はありません
なぜなら「きく」に違いがあるように「はなす」にも違いがあるから。

ひとの話のうち、多くは「放す」ためのそれである可能性があります
全てのひとはクリエイターであり、かつ、パイオニア。
あなたというひと、他の誰かというひとが世界にひとりしかいない以上
あなたの、誰かの進む道は常に未開拓なのですから
そこであれやこれと出会ったことやひと、タイミングの待つ”意味”は
それまでの経験則によって積み重ねられたデータベースには記載がありません
だから、その出来事から受けた衝撃や覚えた感情を手放したくなります
ただ単にそれをするための「はなす」を相手がしているときは
こちらもリラックスして「聞いて」いれば良いことが多いなと感じています

一方、「話す」は
体験したこと、覚えた感情をデータベースに格納したいとき
つまりそれらを大切なものだと(無意識であっても)認識しているとき
舌、と言葉を使って音として発し、”自らの”耳から再インストールしている状態です

あなたにそれを共有している、ということは
あなたもそのデータを編集して良い、という許可を得ているか
またはもう少し消極的ではありますが
それを閲覧することは許可する、という状態です

ひとの話を聴くときにはこの点の見極めが非常に重要です
なぜなら彼らは、彼ら自身すらそれを未だ決めかねているからです
かつ、無意識には決定している、という状況(笑)

聴く、という漢字には「心」が内包されていること
そして、「目」の中心を指し示す十字架があることに気づきます
わたし達の中に既に在る”ある場所”を開いて
誰かの話を聴くこと

それによってもたらされるものは
これまでにはなかった極上の人間関係なのかもしれません

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