あなたがもし、密かに行った”善い行い”を
一切誰にも知られることが無かったとしたら
その時こそ胸の奥底の暗がりに棲む「本当のあなた」が
にやり、と意味ありげな片えくぼをあなたに見せながら肩を叩くでしょう
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自分を愛してくれる者を愛したからとて
どれほどの手柄になろうか。
罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
自分によくしてくれる者によくしたとて
どれほどの手柄になろうか。
罪人でさえ、それくらいの事はしている。
また返してもらうつもりで貸したとて
どれほどの手柄になろうか。
罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
〜ルカによる福音書 6章32-34節〜
良い行いの報いが
あなたの生きている間に手渡されなかったとしても
それが未来永劫、反故にされることは決してないと
あなた自身がそう決めればきっと、そう成るでしょう
報いを願わずにする善行はあなたの宝となります
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むしろ自分のため
虫も食わず、さびもつかず、また、
盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
あなたの宝のある所には、心もあるからである。
目はからだのあかりである。
だから、あなたの目が澄んでおれば、
全身も明るいだろう。
〜マタイによる福音書 6章20-22節〜