ムスメがいなくなりまして
ムスメがいなくなりまして

ムスメがいなくなりまして

「生きたい社会の作り方」という講演のサポートに参加させてもらって来ました

聴講される方々の子ども達をお預かりして2時間のお世話。
我が家の子ども達はとにかくおチビさんのお世話が大好きなのですが、お話の最初には
サポートのスタッフさんのひとりが欠けたので、と
ついこの前のイベントでベビシをしていたムスメに白羽の矢が立ちました
どうですか?と声をかけてもらえるのは光栄なことです
この子に子ども達を預けても大丈夫、というお墨付きをもらえるようなものですから。

結論から言うと、せっかく声をかけて頂いたその子は
いま、家にいなくて参加させてもらえなかったんです

この子はちょっとだけほかの子よりも繊細な子で
他者の感情だとか場の空気を人よりも感じ取りやすく
また、口数がとても少ないので誤解されやすいタイプですが
12人のなかでは一番思いやりのある子です

口数が少な過ぎて、空っぽなのかとわたしも最初は思っていました
赤ちゃんの頃からじ、っとひとを見つめるような不思議な子でしたが
たとえばわたしがキッチンで食事の支度をしているのを
気づいたらずっと後ろから眺めている、そんな子

いま高2の年齢ですが
幼い頃からずっと、幼稚園の先生になりたいと言っていたこともあり
中学校の推薦を受けて、とある私立高校の保育進学コースに入学しました

が。
フタをあけてみればそこは”青い春”真っ只中のお年頃さん達の巣窟
もちろんどこもそうですが、私学の保育進学コースということもあり
なかなか主張の強めな女の子たちが集まっていました

あの子とこの子が仲違いして
間に立った自分にあっちもこっちもあれこれ相談してきて
仲を取り持つためにあーだこーだして心をすり減らして
疲れ切っちゃったところで別の子がまたもめて…

自分自身もあれこれやってみたいお年頃だから
意味不明な校則を遵守する、という気持ちにもなれず
なんやかやでフリースクールへの転学の手続きを進めているところでした

人生のあれこれという波やらうねりに出くわしたときは
どう立ち向かうのか、あるいはやり過ごすのか
その決断は自分がするしかないと考えています
なかなかハードモードだなとは思っていましたが乗り切るしかないんです

転学については、わたしの主張もありました
ひとり親家庭であっても
学びたいものがある学科を選ぶことに対して迷いはありませんでした
私学ですから入学金の支払いも、学債の購入もありましたし
雨風の中を自転車通学させたくなかったのでバス通学に必要なものも揃えました
学費も、修学旅行費の積立も全て本人の”学びたい”に直結していたからこそサポートしました

転学の話が最初に出た時は県立の、通信制も選べる高校を提案しました
そこは校則もなく登校日登校時間も自由で
自らが授業単位の管理をしながら卒業を目指す学校で
かつ、授業料のみの支払いで通え、アルバイトももちろん可能。

幼稚園教諭になる、ということであれば大学に通う必要があるため高校卒業は必須ですから
校則が守れない、他者との関わりがうまくいかないと言うなら
そこをクリア出来る選択であり、かつ、金銭面のサポートという面も併せて
わたしの中では唯一の選択肢となっていました

でも本人が希望したのはフリースクールへの転学。
学校法人とはいえ月々の授業料が20,000円でサポート費が年に120,000円ほどかかる、とのことでした
希望動機は「友だちが通っているから」

これは、わたしにとっては第一案の代替に値しないという判断でしたので
サポートはパパにお願いするように、ということでバトンタッチさせてもらいました
果たして転学前の説明会の参加、入学希望の面談にもパパが同席してくれたようでした

以降、わたしの手を離れたのでその後の経緯を知らぬままでしたが
日々何かが動いている様子もなく
わたしのいる時間は部屋にこもっていて食事の時間も顔を出さず
仕事に出かけたのを確認するとシャワーをあびたりはしていたようです

ある朝、すっかり荷物をまとめて
「ちょっと泊まりがけでお出かけ行ってくる」と出かけてそれ以来そのままになっています
楽しんでいるか?怖いことや嫌なことはないか?との問いかけに対して
「しぬときゃしぬ」と返信があったきり
自分のやりたいこと、好きなことをとことんやりなさいという言葉には既読がつかないまま。

その後別の子どもたちから聞いたところによると
新しい学校の手続きが頓挫していたようです
保証人をたてるのに、親権者がそれを担うことになっているため
パパでは保証人になることができなくて、手続きを進められなくて
そのせいで自分の思い描いている未来の展望が塞がれたと考えていたようです

パパはわたしに、書類上の保証人になってくれれば良く
授業料などは自分がサポートすると言っていたようですが断りました

実は我が家は離婚前に、自宅の建て直しを検討していた時期があり
数千万円の住宅ローンを抱えかけたことがありました
銀行の審査に通り、住宅メーカーとの契約も済んでお話はかなり進んだのですが
パパは一度も話し合いに参加せず、終始”我関せず”の姿勢を崩しませんでした

ママの好きなようにして良いよ、サポートはするから。と言っていましたが
ことを軽視しすぎる点が気になり、何度か確認したところ
月10万円を超える住宅ローンの返済について
「コケたときはコケたときだ」との考えであることが判明し
違約金を支払ってでも話を止めようと決断し実行した、ということがあったのです

そんなこんながあり「書類上の保証人になってくれるだけで良い」という言葉を鵜呑みにすることが出来ませんでした
その書類が法的に効力を持つということを軽視しすぎだからです
入学の保証人が親権者である必要がある、ということもおかしいなと感じていました
法的な親権者を持たない子どもはおり、フリースクールと名乗っておきながら
背景の複雑な子どもの受け入れに対して開いていない学校などあるのか?という疑問があったため
それを払拭出来るエビデンスを取ってきて欲しいと依頼しましたがやはりそれにも応えはないままでした

ムスメには初めての大きな試練だったと思います
四面楚歌に感じたでしょう
だけどね、それを越えて行かなくちゃならない道行を選択したのもまた自分です

人間関係のあーだこーだなど、どこに身を置いても必ず出会います。
すべてを受け止める必要も、受容れる必要もないんです
どれを拾い上げ、なにを棄てるのかを考えるか、感じなくてはなりません

子どもであるうちは親がある程度それをふるいにかけます
我が家であれば高校卒業が目処とされていましたが
ムスメの振る舞いはもう、ほとんど成人のそれ。
でもね、歳行かずにその選択をすること自体は構わないんです
なぜならわたし自身がそうでしたから。

16でほぼ家を飛び出して
場当たり的な取捨選択をして、傷ついたり傷つけたりしながらここまで生きてきました
でも、不幸にはならなかった。
むしろどんなときもわたしらしかった、と思っていますしこれからもきっとそうです

次に、温かいムスメに会えるかは現時点ではわかりません
ただこの時間がいつかは収束するのだと
しかも、最上の結末になる(或いは”する”しかないのだ)と思っています

子どもを育てるって、ほんとサイアクで最高です
わたしの試金石なのでしょうね。
痛いけれど、味わい尽くすつもりです

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