知らぬがほとけ
知らぬがほとけ

知らぬがほとけ

いつからその言葉はだれかを揶揄するために使われるようになったのでしょう。

我が家の末子が、”健やか検診”なるものを受け
ピロリ菌に感染したことがある可能性がある、との結果をもらいました
これが偽陽性なのか陽性なのかを特定するために
次なる検査というのがあるようです

結果から言うと、ただただタイトルどおり。

例えばこれが陽性であったとして
駆除するための治療を受けるかどうかという次なる岐路が現れます
そして必ず始まるのが過去の誰か、過去の何か、はたまた運命の分かれ道の選択を否定するための回想。

この子がもしいつか胃がんを発症したとします
わたしは後悔するでしょう
子ども達とわたしの食器を厳密に分けなかったこと
可愛い可愛いとその小さな唇にキスしたことも。
そして更に後悔はいつか恐怖と成り変わり
わたしを暗闇に閉じ込めようとします
同じように育てた他の子も…よね?って。

何でこうも何もかもは詳らかにされたがるのだろう?
知識を持つようにと啓蒙活動をすることで何を避けたいのか。

父は少し前に胃がんの手術を受けました
スキルス胃がん。
予後がどうとかこうとか
本人はそんな数字を全く意に介していなくて
ただひたすら自分らしく生きること
旅立ちの日に思い残さぬよう、毎日と真摯に向き合っています

会社員時代はそれこそ破竹の勢い
家になど殆どおらずにあちこちを飛び回りました
出世をして功績を残し、評価されて満足げでした
でも、自分の命はそこには紐づいていないことにやっと気がついたように見えます
それでも、やはり病気は呪いなのでしょうか。

すこやか、とは何か。
立ち止まって考えるように促された気がしました
いつか答えが出るのか
出るわけがないから考え続けるのか
わたし自身についてはそんな課題が与えられ
我が子達に対してどんなプレゼンをするのか…腕の見せどころです

知らぬがほとけ
知ってもほとけ
きっとそうなる

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