何を、なんのために学ぶのか
何を、なんのために学ぶのか

何を、なんのために学ぶのか

そんな問いを投げて下さったのは
ザギン()でグラフィックデザインのお仕事をされていた、という
現在はおんせん県の片隅で子ども達のとまり木たるフリースクールを運営されている方

なぜ、と自らに問い続けるという生き方をしよう、と伝え続けるという
知らぬ間に思考停止の沼に引き込まれてしまいそうな現代においては、これほど
愛に根付いた反社会活動が他にあろうか(笑)ということをまざまざと見せつけて下さる方です←褒めてる

で、そんな彼ならばきっと
アタマおかしいおかあさん(わたし)が標榜する何かをさえ
第三者目線から、子ども達に落とし込めるのではないかと目論んでみたわけでして。

まあつまり平たくいうと
「うちの子の勉強、見てくんないでせうか?」を投げてみたわけですね。
そうしたところ、タイトルのような問いが返ってきた、というわけです

何を学びたいのですか?
学びの目的は何ですか?

勉強教えて下さい、って伝えた時
この問いを投げ返されたのはもちろん初めてですし
むちゃくそオモロイのは(おっと、いけない。)
11月4日に参加することになっている
「教育」をテーマに掲げた哲学対話に、持ち込もうと考えていた問いがまさにそれだったからです

「学校」とは、誰が何を学ぶ場なのか?

シンプルにわたしが問いたいのは常にそれです。
先生と呼ばれるひと達、あなたは誰に何を”教えられる”と考えているの?
その活動を通してあなたは何を学ぶの?

児童、生徒たち、あなたは誰から何を”教えてもらえる”と考えているの?
その活動を通してあなたは何を学ぶの?

保護者たち、あなた達は何を望んでいるの?
自分たちではない大人に我が子を預けたとき
何がどうなれば良いと考えているの?
それを通してあなたは何を学ぶの?

学びは与えるものでも受け取るものでもなく”発見”であるとわたしは考えています
だからこそ、何を探したくてどんな道具をどう使いたいのかを深掘りすることが必要になる。

その答えは必ず、個人が個別に持っていて
互いがそれを自認し、どう使えるのかを知ってこそ初めて
次なるステップである”協働”へ共に向かえるようになるのだと思います

自分てのは箸のように使えると思っていたけれど
あるとき気づくわけです。
あれ?なんかもしかしたらわたし…マイナスドライバーか?って。
わー、知らなかったわたしマイナスドライバーだったのかー。となったけれども
ん??あれ?違うな?
あれ?あれれ?…なんだよおい!ノミだったじゃん!
ってことになる可能性があるってこと。え?わかりにくい??あっそう。

しかも何が素晴らしいって、
箸であってもマイナスドライバーであっても、ノミであったって
わたし達はその時その与えられた場所でちゃんと機能するの。
しかもノミであってもマイナスドライバーみたいに使うことだって出来る。

でもね、もし
自分が箸だと知らずにストローになろうとしたらどう。
マドラーならまだしもストローなんてさ。

だから、ひとはまず自分を知らなくてはならない。

2件のコメント

  1. miyo

    うちのお兄ちゃんは好きなパソコンでお仕事して稼ぎたい。(同じ考えの子多い)今すぐにでも。
    でも学校ではそれは出来ないし、まずは良い高校、良い大学行ってから良い会社に入ってそれからすればいいという流れの中で生きてたらその内そのワクワクも無くなってしまうのだろうなって思う。

    現実問題先生も手いっぱいだろうしそもそもパソコンを子ども達より使いこなせる先生が学校に居ないから学校以外でそんな場を作るしかないだろうなと思う。

    その前に私達夫婦みて好きな事してても稼げてないじゃんって希望を無くさせないために早急に不労収入を得る策を練らねばだけど笑

  2. >miyoちゃん
    ママとパパが”普通”じゃないことって、そうそう体験できるものじゃなくて
    マイノリティからのスタートって恵まれてるなーって思う!
    演奏家はご両親が演奏家で
    機材がもともと家にあった、とかさ

    miyoちゃんちの環境って、例えばカフェしたい子にとっては夢みたいだし
    内情はさまざまありましょうけども。(笑)

    みんなそれぞれ”好き”の先にある壁に直面していて素敵だなって思う!

    いかだはゆるゆると。それで良いねん!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA