『主体的、かつ能動的で個別に最適な学習』
いわゆる探求型の学びを深めることを標榜する
これほどわかりやすく上滑りしているもの、ないよ。
ってくらいダダ滑っていることを痛感する日々です
我が家の五女@中1は、赤ちゃんの頃からとにかく良く寝る子でした
ハイハイが出来るようになると、ご機嫌良く遊んでいるなと思っていても
うつらうつら、となって泣きながらベッドを目指してハイハイをして
辿り着く前にラグの上でころりと眠ってしまう
大好きなご飯をもぐもぐしていても
うつらうつら…そのうちお箸でつまんだものもポトリと落ちて
本人はそれに気づかないからそのままお口に運んで…いるつもりが
何もお口に入らないし眠いし、でうわーん!
というようなことが良くありました
それは長じても変わらず、今でもそう
活動量が増加したせいで、むしろなおいっそう目立つようになりました
学校から帰るとそのままわたしのベッドで寝落ちして
ご飯もお風呂もしないまま朝まで寝ても次の日起きられなかったり
たぶんね、診断がつくんです。
眠い眠い病とかうとうと病とかwww
で、診断がつけば周囲は納得するの(ある程度)
でもだからそれが何だっつーの。
個別に最適な学び、だとか(この子の場合は特に”活動”)ってのは
起きていられる時間に、そこをどう使うかってことが最大のテーマなわけです
学校ってのは往々にして全体に対してざっくりした指示を出します
「宿題が最優先」
別にそれは良い。それがベースであるということは良いんです
ただ、その上で
13年間この子を見て来続けたエビデンスを以て
この子にはもっと上位の”大切にしたいことがある”をお伝えしているのです
起きていられる時間は、本人のやりたいことを最優先させる。
シンプルにそれ。他に何があるってんだ
担任の先生にはそれを伝えてあって、納得してもらっている
な
の
に
なんど言ってもわからんのが部活の顧問の先生。
人数がギリギリの活動なのに
五女が宿題をやっていないことを理由に、参加を許可しない
一度目はとにかく丁寧にお伝えした。もちろん理由もね。
部活は大好き、でも身体を使うから
放課後、その活動を終えたら宿題やる体力が残らない。
良い、つってんだよ
学習が定着しないことは、この子がそれを背負って生きていくのだから。
受験ガー、仕事ガー、人生ガー。
黙らっしゃい
いつまで「今ココ」が抜け落ちた指導をしやがるんだい?
未来ってのは、「今ココ」の蓄積なんだよ。
未来のために「今ココ」を机上で逆算するだけ、ってのは間違いなんだ。
未来を想定し、そして行動出来たことが積み上がって行くの。
未来から逆算するんじゃない。
振り返ったときに見える軌跡が「今ココ」を
「過去から見えた未来」と名づける、ただそれだけ。
わたしはおかあさんになりたかった。
心の深く、奥にそれは在り続けたけれど
目の前に置かれるあれやこれを
その時最大限、その時のわたしらしく味わった
そして、結果として12人の子ども達のおかあさんになった。
誰ひとり理解しなかったでしょう?
「おまえ、このまま勉強しないと希望する学校に合格する確率は2割だぞ」
受かりましたね
「おまえのような人間は社会では生きていけないぞ」
生きていますね
「無計画で子どもを産むなんて無責任だ」
あなたも明日の責任なんか取れませんよ
「子どもが12人いるのに離婚なんて自殺行為だ」
毎日楽しく暮らしていますね
わたし達が”想定出来る未来”ってのはね
想定するからそうなるんですよ
わたし達の思考が未来を想定=限定しているの。
いい加減に気づいておくれよ、あなたのために。
あなたがわたし達の未来をどうマイナスに想定しようが
わたし達には何ひとつとしてネガティブには影響しないの。
あなたは、あなたの人生にネガティブを引き寄せている。
ネガティブが悪いんじゃない
ネガティブを嫌うくせに引き寄せていて
そのくせネガティブが勝手にあなたにつきまとう、と
他者や環境を非難することに意味がないだけ。
あなたの人生はあなたが個別に探求しなければ何処へも続かないよ。
わたしの子ども達の探求を阻害することは許可出来ない
今日は、そんなお話。