目の前に起きる出来事を楽しむように、わたし達は出来ています
それでも昔はその合間にやってくる静かな時間の豊かさを知っていました
今、教育の現場ではAIが活躍しています
同じようにドリルに取り組むとしてもAIが学習者の履歴をベースに
その人に”最適な”問題を出すことができるのです
多くの人が何らかの個人的な連絡用の端末を持参し
会いたい人には世界中どこからでもアクセスできるようになりました
国境も時差も超えて瞬時に誰とでも繋がれる世界は
恋しいひとを思い、かすかな風の揺らぎに胸を躍らせていたような時代には
夢のような世界だったかもしれません
中学校の授業を見ていると、万葉集の世界や、日本の古典文学を興味深く味わう子ども達に出会うことが出来ます
となりのトトロの中に、風を猫バスに喩える描写がありました
むかし幼い日に空を駆け抜けた突風を知らなければあの世界観にはいつまでも入り込むことは出来ないのかもしれません
まちびとを待つ時間の豊かさ
すれ違いから生まれる縁の不思議さ
何日も経って届く旅先からのハガキ一枚が運んでくれる空気
それらが当たり前にあった頃は、もどかしさに震えながら”明日”を夢に見る力が育ったのだと思います
次こそは、と今日を振り返り、反省し、学ぶことが出来ました
それは全て”自分”が主導の学びだったのかもしれません
今、最適解がいとも簡単に目の前に置かれる世界は
果たして本当の意味で豊かなのでしょうか
余白は”何か”が生まれたからこその余白なのであり
”何か”が生まれるのはいつも余白からなのだと思い出すことは恐ろしいでしょうか
コロナがもたらしたものは
好むと好まざるとに関わらず一度止まれ、とそういうことでした
足止めを食ったときこそ考えが深まるときなのかもしれません
少し静かに”待つ”ということについて考えてみるのも良いですね