祓う、ってことについて話すと
ちょっとわたし達が知ってるヤツとは違うってことに気づく。
カトリックでは割とそれは明言されていて
各々はそれぞれの”苦しみ”を背負って歩くことこそが
キリストに倣うってことなんだよねーってことになってる
ただ、残念なことに
十字架上のキリストを見上げたとき
あーわたしの代わりに背負ってくれたんだ
つって、他人事にしちゃうことの方が一般化してる感じ
違うのよ
あと、お祓い。
これはもっと気の毒なことになってる、というか
ぜんっぜん違ってるよって言いたいわー
悪い霊がいる!
浄霊よ!
ホラ、消えやがれ!
とりゃ!
ってさ…バカなの?
祓わなきゃならないのはそれじゃない
わたし達の目にかかってる霧、靄、氷の欠片、色眼鏡
そういうヤツなの。
本当の祓をしなきゃいつまで経っても
同じ課題が目の前に巡ってくる
過ぎたつもりの交差点が、進む先に見えてくる
ごまかせないの
誤魔化したくないから巡るんだよ
それをしているのは、あなたなの
祓うべきものは他者ではない