幼稚園の年少さんのころ
おばあちゃんの家に遊びに行ったよ、と絵を描きました
クレヨンで画用紙いっぱいに描いた絵のことで母が呼び出されたそうです
「綺麗に描きたい気持ちはわかるけれどウソは良くない」
そのときのことを未だに母は覚えているようです
先生は知らなかったんでしょうね、真冬にも咲く花があること。
寒さ厳しい地方での話ではあるけれど
椿や山茶花を知らずに大人になってしまったのだろうと思うとなんだか気の毒ですね
「ウソを書いちゃいけないよ」と言われたときのことは覚えていないけれど
幼いながらにきっと、はあ?と思ったんだろうなと思います
だってわたしは実際に見てきたばかりだったんですから。
大人の思い込みで子どもにヘンテコなことを言ったとしても
思っているよりぜんぜんダメージはない、ってことなのかもしれませんね
逆に思われているだけかもよ、「なに言ってんだこいつ」って(笑)
これがわたしの「椿」の思い出。
もう一つ、タイトルにしたのが
幾つか前の卯年に高校の先生が年賀状に書いてくれた句で、こちらは山茶花。
うきよにも
さざんかはさく
ぎりにんじょう
この句を読んでどんなことを感じますか?
わたしは先生へのお返事として
この世の有り様を知ってか知らずか
山茶花は今年もまた花をつけている
この季節になると人々もまた
まるで決め事のように挨拶を交わす
あれもこれも義理人情のようだなぁ
ってことですか?と書きました
けれどこの少し前に先生は新しい奥さんを迎えていて
それなのに憂き世、とは
穏やかでもないなと感じたことを覚えています
晩年はお幸せだったのでしょうか
今ごろは何処かで憩っていらっしゃるのでしょうか
成人式を迎えた四男から
中学時代にお世話になった先生方の写真が送られてきました
いつか四男も先生方のいろんな想いを受け取れる大人になるのかもしれませんね