考える、感じる、体験する。
考える、感じる、体験する。

考える、感じる、体験する。

なぜひとがこの世に産まれるのか
多くのひとがそれについて話しているけれど
何処にでも共通していることとして
地球という場所に、肉体を得て様々なことを体験するために産まれるんじゃない?ってことがあるような気がします

昨日、中3四女とひとの生きる場所(物理的ではなくて)について話をしているとき
ひとは産まれるときには生きる場所を決めてきていて
別の場所にいるひとのことは見えないらしい、ということを伝えると
ママはパパと別のところにいるのか?と聞かれました
(ほんと、この子は面白い子でそういうところが見えているらしいです)

子ども達の父親である旦那さんとわたしは
そもそも全く別のところに生きていたと思います
ただ、感じる、体験するということに喜びを見出しているというところで一致していたし
実際、彼はとても温かい…それはひととしてというより動物並みの温もりを持ったひとでした

幼い頃から動物が大好きで、家に姿が見えないときは飼い犬の小屋の中で犬と一緒に寝ているような男の子だったそうです
アメンボを舐めてみたことがあって、本当にべっこう飴の味がするんだ、と話してくれたとき
一緒にいたら楽しいだろうな、と感じたことを今でも覚えています
旦那さんの良いところは”考えない”ところだったのだろうと思います
体験して、感じる。好きか嫌いかを感覚で切り分けるようなひとでした
自分の感覚を疑わず、相手が誰であってもそれをストレートに表明する力を持っていたのは
それをすることで何が起きるかを考えないひとだったからこそだと思うし
考えない故に嘘もつかない(つけない)愚直さが彼の生きる場所では大いに認められることに繋がったと思います

わたしはといえば感じる、体験する、と同じくらい大切にしていることに「考える」があります
考えたいから感じたい、だから体験を欲する。というところでしょうか
だから、考えないひとが苦手です。
頭が良いか悪いかじゃない。成績の良し悪しではなお違う。
思考停止していて他者の意見を鵜呑みにするくせに
あーだこーだと文句ばかり言うひとと一緒にいたくない、ということです

何十年かぶりに再会した幼なじみが
「麗子は相変わらずいろんなこと考えるの好きだな」と言ったとき
相変わらず、ってなに?と聞いたら
小学生の頃わたしに「なんで考えないの?考えなさいよ」と言われたことがある、と。
ひゃー、いかにも言いそう(笑)
ごめんね、思いついたことそのまま言っちゃって…

まあでも、そんなこんながあってはっきり自覚出来て楽になりましたー。
考える、感じる、体験する。
これをしたくて産まれて来てるんだなってこと。
自分の中にすーっとイカの背骨みたいのが通ったような気分がした朝なのでした。

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