自我ちゃんを抱きしめてあげることにしています
ふと思うの。
あれ?わたし倒れたらこの子たちどうなっちゃうの?とか
災害が起きたら収入どうなっちゃうの?とか子どもだけじゃなくて猫も4匹いてどーなっちゃうの?とかさ。
自我ちゃんは不安がりたい。
なぜかっていうと安定しているとつまんないから(笑)
ひとはこの世に産まれる前には揺るぎない愛に満ちた光のなかにいたのだけれど
寂しくて怖くて悲しくてふるえているひとのために産まれてくる。
産まれてくるときにはちゃあんと地球仕様(笑)で産まれるから
ほとんどのひとは不安で切なくて惨めな気分をちゃんと味わうのね
それを持っていても、だけどひかりとは繋がっているのよとか
愛はあたたかいの、とか揺るがないものなのよなんてのはとっとと忘れちゃう。
それも一興ですよねー、なんつって産まれることを企画しただろうに
ぐるじー、ごわいー、いやー、だずげでー、って嘆いてる。
そんでほんとはそれも込み込みの企画だったりしてもう何が何だか(笑)
ま、とりあえず不安を覚えたら
きゃーほんと不安。ってことを認めてあとは深く考えちゃだめね。
脅かすつもりはないけれど
不安や不満は連鎖してどんどん膨らむからぎゅっと掴んではいけない。
切ないけれど、そういうのを手放せないひとってのはいるの。
いけない、それはしない方が良いんだよってぜんぶ見えていても
そのひとがそれを手放さないことを決めている限りわたしに出来ることは何もない
ちっぽけなものなのよね、他者のチカラなんて。
自分がどれほど現実を創り出すチカラがあるかって
認める認めないよりも、もっと深いところで感じられたら良いね
根幹は揺らがないけれどそよそよと心地良さげにそよぐ枝葉は
大きく高い木ほど孤独に見えるかもしれないけれど
目に見えなくとも広がる根が全てを受け止められるんだよってことね