最早そういうスキルを身につけるための、としか言いようのない出来事がそこここにばら撒かれている。
この世に起きる出来事はどれも尊い意味を持っている…というよりは
起きたことは起きたことというひとつの”珠”であって
わたしはそれをどのように感じ切るのか?ということこそが課題。
感情が揺れるのはひととして当然
けれどもすべての人が必ず宿している愛は決して揺らがないものなのだから(満ちているから揺らぎようがない)
感情を伝ってそこまで視線を移すことを意識したい。
世の中の全ては鏡
自分でない誰かを傷つけ、ときには他者の命を宿す身体を壊してしまうひとがいる
事故と呼ばれるもの、故意と呼ばれるもの、それは様々だけれど
誰かの”罪”に対して過剰に反応するわたし達は彼らと同じ弱さを持っていることを認めたくないだけのへなちょこだ。
「わたしは彼らと同じ過ちは犯さない」と思うひとほど躓きの石を心の奥の闇に隠している。
それはあなたの自我にとって都合の良い闇。
ひとから見られたくない醜い姿、誰にも知られていない罪、という名のそれらを
あちこちに積み上げてしまえばわたしはそれらをすっかり忘れてしまい
いざ光と出会わん、と深堀りするために迷い込むそこでそれらに盛大に躓く。
心が揺さぶられる出来事に出会ったら己に出会う機会だと心得よ
ガサガサと音を立てる心の闇の奥深くに何があるのかを丁寧に取り出して
恐れずにそれを自分の一部分であることを認めれば、それは消える。
他者に投げつける石礫は心の中の躓きの石
石があるから心が痛む、痛むから嘆く、嘆くから怒る、怒るから愛しない
愛を遠ざけないこと
そのために歩み始めたい道がある