ひとが亡くなるのは産まれるのと同じなのだろう

よく知ったひとが旅立ちの支度を進めていると聞いた
義理の母を見送ったときもそうだったけれど
きっと彼らは安らぎに帰っていくのだという妙に確信めいた思いがあって
悲しいという気持ちにはほど遠いところにわたしは立っている

思うに、別れを整えられる時間を得たひとの家族は幸運なのだろう
この世にやって来た命はその全てがひとつの例外もなくまたそこへ戻るということを知っていても
さよならを告げる時間さえなく駆け足で去って行く後ろ姿を見つめるのは辛い。

あなたを見送るのは寂しいけれどでも、だけど。
この世での務めを終えて帰るあなたは祝福に満ちていると
そんな手向けをさえ手渡すことを許されないからなのかもしれない
もちろんそれにすら意味があるのだとしても。

この世とあの世を行ったり来たり
向こうからこちらへのときは期待に胸膨らませているだろうし
こちらからあちらへのときは達成感に満ちているのだろうからその日には

どんな感情と共にあるとしても
彼らという美しい魂におめでとうとありがとうを手渡せるよう
心から彼らの祝福の日を祝えるよう心を整えておきたい

かつて陣痛の波を母に包まれて乗り越えたそのひとが今度は
たった一人ででも立派に虹の橋を越えるというのだから
やっぱり旅立ちはきっとそのひとにとっては素晴らしいものなのだと思う

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