ひとがひとたれば
ひとがひとたれば

ひとがひとたれば

だーーーい好きな「わわわIT用語辞典」のコラムがいつものようにつぼったので記事を書いてみたいと思います

参照記事:「わわわIT用語辞典(コラム)

ちょっと前から、既存の職種の幾らかはAIに取って代わられるんだわーみたいな話って耳にするようになったし実際それはそういう側面もあると思う
けれど、それに怯える必要は無いんだろうってことも同時に思っています

端的に言うとAIは”感じることが出来ない”のだから
どこまでも限りなく「それ」には近づくだろうし
自我が無い分スマートにそこまで到達するのだろうとは思うけれど、決してひとを超えられない。

これに対して異論を唱えるひとがいるのはむしろ素晴らしいこと。
何故ならここでひととひとの交わりが発生していることになるのだから。
AIはサポートするモノであって創造する者ではないとわたしは感じている

ここでさ、自分は賢いのだと思い込んでいるひとが「それってあなたの感想ですよね」と切返し(たつもりになっ)てくれると更に嬉しい(笑)
「そうだよ」としか返しようがなくてwww

それってあなたの感想ですよね、ってすごいなと思うの。
ひと(個々)が感じるもの、それが実はこの世で一番大切なのだからさ、
「ああ、そうさ。」と言い切れるようになることを全人類に標榜して欲しい
同調とか要らんのよ、そんなもん。
わたしがそう感じたからそうなんじゃわ、それで良いし
その代わりそれと同じくらい大切なのは
あなたがそうであるように他者もそうである、と認めること。

わたし達はバラバラ(のように見えていてもそれ)で良い
各々の立ち位置から見えるものをありのままに見、
その集積がひととして他者と何か同じっぽいもの見てるんじゃね?を発生させ
そこから互いに共有したり反発したりで世界に動きが現れる

地球を覆っている大気の中に高いところ低いところがあるからこそ流れが生まれ気象現象が発生するんだもの
どよーんと漂っているだけよりずっと楽しいし豊かだと思う
(ええ、わたしの感想です)

で、AI。
それについてわたしがあーたこーだ書いたってどうせあんたは信じないんでしょうけども。
先の「わわわ」さんとこの佐々木さんという方もたいていヤバいよ。
もうね、めっちゃ惚れ込んでる!超一流の方ってどうしてこうも皆さん優しいのだろうかー。

ま、だから読んでよ。
何もわからないわたしがぎゃーぎゃー喚いてることもあながち的外れでもないのねって嬉しくなっちゃった…へへ。

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弟子は師にまさるものではなく
僕は主人にまさるものではない。
弟子は師のように、
僕は主人のようになれば、それで十分である。

‭‭〜マタイによる福音書‬ ‭10‬章24‬-25‬節〜

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