決心、それは
これをやめる!とかあれをする!とか決めるってこと=結心。
もちろん、結び目は”ネップ”という味わいにもなるけれど
それが大きすぎたら躓いてしまうし、緩ければ足をとられちゃう
やめられない自分、始められない自分がいることを感じたらまず
それがあることを受け入れたい。赦すってこと。
ひとは産まれて来る前には自分の次なる役割ってのをはっきり自覚しているのに
産まれたなりそれを”すっかり忘れてしまう”こと、それも込みの今生なのだから安心してね
ん?これって本当の望みじゃないんじゃない?って
わたしの何処かが気づいた時
あゝそんなこともわからなかったのねって自らの弱さに打ちひしがれて…それなのに
何故かわたし達は自分の弱さを誰よりも厳しく断罪するよね
あれ?そっちじゃないよ!ってことに自分を気づかせたいからそうなっちゃうのだけれど
いいの、いいの、大丈夫。もっとリラックスして。
どう考えても遠回りになる道迷い込んだとしても、そこであなたは何かを見つける。
ただ、迂回路はない。ぐるぐるぐるぐる…何度も何度も何度も遠回りをし続けることはあっても
避けては通れないところってのが必ずある。
この道はもう通らないぞ!なんつって力んでいるうちはまだまだもう少しそこら辺りをぐるぐるすることになる
もう何もかも諦めて、ただ目の前の道に自分の足で踏み出しさえし続ければいつの間にかあなたはそのぐるぐる迷路からは抜け出られる。
方法はたった一つしかない。
産まれる前には無くて今持っているもの、つまり肉体を使って体験することだけ。
無駄なもの必要ないものは何も持たずに産まれて来ていることを信じること。
腕がないのなら足がないのならそれは今生あなたはそれを持たなくても素晴らしい人生を送ることが約束されている
周囲の誰かと愛したくてそれを選んで産まれている。
もしそれらを持っていながら使わないなら、それはそれを持つことを選んだあなたへの最大の侮辱なの。
自分自身に唾を吐くようなひとが誰を愛せるっての?
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イエスは言われた。
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして
あなたの神である主を愛しなさい。」
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
「隣人を自分のように愛しなさい。」』
〜マタイによる福音書 22章37-39節 〜
神とはあなたの中に在る小さな灯火。
あなたは、”あなたをあなたが愛するように”誰かを愛するために産まれた
自分を愛さない人は誰のことも愛せやしないの