“わたし”と”あなた”
“わたし”と”あなた”

“わたし”と”あなた”

ジコチューという言葉が昔あって
それはたぶん他者を尊重しない図々しいひとを揶揄する言葉でした
傍に居るひとをふりまわして場を乱す厄介者さん

特にわたし達日本人は周囲との調和を大切にする民族ですが
調和というのは、各々がそれとして自律してこそ成り立つものだということを忘れかけているような気がします

お気に入りの道を走り、雄大な自然に溶け込まんとするとき
風は風として吹き渡り
山は山としてわたし達を抱き
鳥は舞い川は流れ雲は亘り
街々の残像も行き交う車も…
何もかもがあるがまま何者にも忖度せず
気ままにその時々のあり様でそこに在り
その美しい調和の中に自分も加わっているのだという
なんとも言えない開放感と幸福感を覚えます

他者との調和、それは
自分でない誰かとの境界線を無いことにするのではなく
境界線の交わりが生み出す紋様の美しさを知る
そういうことなのかもしれません

ジコチューと揶揄されることを恐れて周囲に迎合させる教育ではなく
自分と違う色を持ったひとに出会ったとき
「あなたはそれである」ことと
「わたしはこれである」ことを恐れず
何れもが等しく大切である、と伝えたいですね

それを知ったひとは
自分の中心を貫く軸があることに気づくことが出来ます
わたしが、わたしであるように
あなたが、あなたである
それを認めることが出来るようになります

先ずそれがあり、揺らがずにいられるからこそ
ふたりの違いがどのようなもので
各々の目の前にそれが置かれているという状況の中で
どのように捉えることが出来るか、或いは出来ないのか
複数ある選択肢のどれを選ぶか選ばないのか
という話が出来るようになります

中緑(なかみどり)
翠色(すいしょく)
青柳(あおやぎ)
柳色(やなぎいろ)
山藍摺(やまあいずり)
市紅茶(しこうちゃ)
山葵色(わさびいろ)
殿茶(とのちゃ)
花萌葱(はなもえぎ)
深碧(しんぺき)

ぜーんぶ、緑。
でも、全てがきっちり違う色です
山々を眺めたとき、全体の調和はとれていて
目を凝らせばドット画のように
たとえ同じ名を頂いている木々でもそれぞれは違う色をしていることに気がつきます

他者があなたと違うことに驚く必要はありません
あなたの子ども達が
あなたから出たにも関わらず
あなたの理解を軽々と超えていたとしても
それをあなたが気に病む必要はありません
今日という二度とは来ないそれが
彼らの今生というドット画のどの点であるのか、を
わたし達はまだ知ることが出来ないからです

いつか
わたし達がいま目にしている
美しい山々の稜線上にきらりと光る
一番星のようなその子を見たい、と
そう願い続けられる毎日でありますように

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