転んで骨を折るよりも、もっと
転んで骨を折るよりも、もっと

転んで骨を折るよりも、もっと

我が家では
子ども達にスマートフォンを渡すのは高校生になってから、としています
高校受験という岐路に立った子ども達は
その時なりに自らの進路を見据えます

もちろん、親のかける言葉
マスメディアから垂れ流される情報
SNSから受け取る、大げさで紛らわしい嘘
などによって判断はブレてしまうけれど
本来、彼らは(親からどう見えたとしても)
“この先”のために何を選びたいのかを真剣に考える力を持っています

だから、一度なりでも立ち止まり
わたしの未来には何があるのか?
何をしたいのかしたくないのか
それと真剣に向き合う、という
その体験を越えたところで
手にするブラウザの向こうに何があるのか
つまりリスクについてを話したうえで
それじゃあ、行ってらっしゃいと
こちらも相当の覚悟をして手渡します

それは子育てという長い時間の中でも
次なる課題への挑戦を意味するタイミングです
わたし達は、子ども達を”見守りつつ手放す”という
“四六時中お世話をする”よりも
もっともっと高度な覚悟を持つよう促されます

私利私欲が渦巻き
エゴを増長させ感情を煽り
“ここではない何処か”へ引き摺り込もうと
闇は大きな口を開けて待ち構えています

子ども達はまるで
腰に縫い針の剣を携えた一寸法師のようです
お椀の船でいざ、漕ぎ出さんとする後ろ姿を
ただただ無事を祈りつつ見守るしかありません

夜ご飯のとき
小学生と中学生の3人が話しているのが聞こえました

ケータイ持ってないのって、今どきうちだけだよね
わかるー!マジそれな
てかさ、危なくね?ケガとかしてもさママに電話出来んくね?
そーだよね、ママなにもわかってないよね
そうだよ、別にさケータイ持ってもずっとゲームするとか、なくね?
いや、マジそれ。

普段はけんけん囂々
寄ると触るとケンカばかりの3人もこの手の話題では
小さな頭を寄せてひたすら互いに同意しまくります(笑)

まあでもさ
“みんな“がケータイ持ってんなら
あんたが転んで怪我しても
誰かがどっかに電話してくれるから良くない?
むしろラッキー!

…。(子どもたち)

しかも言っとくけど
転んで怪我をする100倍怖いこと
そんなんが山ほど転がってんだもん
ママはぜーったいケータイなんか持たせないもんね

…(絶望)

どんなに誰が何を言おうがわたしはそうするのだ(完)

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