誰だってそうでしょう
何に弱いか、ってそれは”誘惑”に対して、ね
何に誘惑を感じるのかは人それぞれであろうけれども。
「昨日、星を見たくなって」
高原まで車を走らせた、という五男
この子はディーラーで新車を購入する手続きを全て済ませた後に
諸事情によりそれを撤回して中古車を、それも町工場といえば良いのか…
知り合いの知り合い的な自動車工場から購入しました
わたしは、嫌なんです。
避けられる事故は避けたいの、出来るだけの精度で。
でも、車の整備について専門的な知識も技術もない
だから常に車はディーラーから新車を購入しています
これからもそうするし
経済的に出来なくなれば車は買わないつもり。
結果から言えば五男の車はバッテリーがイカれていてセルが回らなくて
だからつまりエンジンが起動しない状態になっていたわけで
それは、単純にバッテリー自体がリサイクル品であることに起因していた。
その前に乗っていた車はタイヤに、経年劣化によるクラックが入っていて
いつバーストしたっておかしくないだろ?という見た目だったしさ。
そんな車に乗るってことは
事故が起きた時の責任の殆どを自らに科す覚悟をしなくてはならないということと同義だと思っている
相手に何か負わなくてはならないものがあるかないか、以前の問題。
整備不良でしょう?その車は。
法的に問題ないとその自動車工場は言ったと聞いてますます信用ならんと思ったわけ。
自らの工場で車検を通したんだよね、法の何処かをどうにかしてすり抜けてさ。
そんなひとが”整備”した車なんかにわたしゃ乗りたかない。
五男は言いたかったんだとは思うの。
危うかったけれどなんとか家までは帰れて
極寒の中車中泊をするハメにもならなかった
仕事を終えた日の夜半に出かけたものだから、対応に疲れて居眠り運転になる可能性もあったけれどなんとか無事だったってさ
でもさ、それは笑えることでもないし
ラッキーだった、で片付けてはいけない話なのよ。
車を運転するってことは、何処か一部をでも”ラッキー”に頼ってはいけない
そんな車に彼女を乗せることも
夜の山に向かうことも
無責任極まりなくて受け入れ難い。
五男はわたしの態度に腹を立てたけれど
腹を立てることさえ許されない場所に、立場になる可能性が高いってことを
もっと真摯に考えなくてはならない。
ひとは”誘惑”を覚えたとき
それに抗う力がとても弱い
今夜は旅から戻った反動で
子ども達みんなが毎日のお手伝いを明日へ先延ばしにしたくてグズグズ言い訳をしていて
「やらなくてはならないと思うことはやった方が良い」と告げたわたしに対してみんな腹を立てている
腹なんか立てたけりゃ立てりゃ良い。
する約束のお手伝いを先延ばしにするくらい、好きにすれば良い
でも、その思考のクセが自分を窮地に追い込む可能性があるってことを知りなさい
あなたは”誘惑”を甘く見過ぎている
高い金を払って車の整備への責任を買うこと
やるべきことと向き合い続けること
それがどんなに愚鈍に見えると揶揄されようと
わたしはバカ正直を選ぶ
未来のわたしが悔やみきれない悔いを抱える可能性を少しでも減らせるのだから。
こんな、わたしにとっては至極あたりまえのことを
自分の子どもにでさえ伝えきれないもどかしさとやるせなさを
毎日、毎分、毎秒、あらゆるカテゴリーにおいて目の前につきつけられる
やっぱりなかなかの試練よね、それも。
精度上げて行こう!負けないわ。