爪を切りました
なんのこっちゃ、と思うでしょう。
知らんがな、、と思うでしょう。
わたしだってそう思いますわ
だけど人生に立ち現われる出来事の殆どなんてそんなものなのよね
出来事や言葉ってのには必ず「その向こう」がある。
何故ひとは言葉を使うようになったのか?という問いに対してどなたかが
他者とのコミニュケーションを円滑にするためだ、との見識を述べていらっしゃったわ
それはもしかするとアナログからデジタルへの移行の始まりかもね、ってことらしかった
だけどわたしは思うの。
言葉を介するようになったからこそ他者との結びつきの深度を選べるようになったんじゃないか、って。
つまり、よりアナログ感を深められるようになった、ってことに他ならないんじゃない?
感じとれるひとならどこまでも深みにハマれる可能性と
だっっる!ってときはそれを無視することも出来るという贅沢な選択を与えられたってわけだし
わたし達はいつでも自由にそれを選択することが出来るようになったってこと…
たとえばわたしは会社ではほとんど自分のことを話さないし話そうと思わない
たくさんの言葉が飛び交い、混じり合ったりこんがらがったり解けたりしている「その場」にわたしを置いていない
何故か、って?
それはただ、「求められていない」から。
昔まだ子どもだった頃からそうだった
他者へ自分を開示するかしないか、はわたしにとって重要で
「意図的に」閉じているわたししか知らない誰かがわたしを「知っている」つもりにならないよう細心の注意を払っていて…
だからみんなはわたしを知らないはずだった(笑)
はず、ってところがポイントだよね
自分なりには思いっきり仮面をつけてるつもりなわけよね
全てを見せてなどやるものか、と構えている
そのくせそれ以外は丸出しで
それこそ皆があきれるほどにわかり易く一糸纏わぬ姿ってのを晒しているらしいのよ…
最近知ったことは、それはわたしがとてつもなく臆病なせいだってこと。
強がる、でも強ぶる、でもなく「大切な部分」は常に隠しておきたい
そのくせ他者への関わり方というところまでは考えが及ばなくて
うぉわーっとかぶりついて引きちぎって振り回してズタボロになっちゃったぬいぐるみみたいな誰かが目の前に横たわるのを見下ろしては誰よりも深く深く傷つく、というどうしようもないアホ
いやいや、それは違うわ。
わたし如きにそんな力は無い。きっとそいつらは「あなたのせいで傷ついた自分」を見せつけていただけよ…ね。きっと、そう。酷いわ…
でもさ、生憎わたしはわたしの世界で自由に生きてるわけで
誰かとの関わり方に躊躇ったり迷ったり、傷つけたり傷つけられたりごっこを楽しんでいるに過ぎないってわけ
でね、思ったの。
わたしというひとが、わたしとして紡げる人生なんて良いとこあと数十年で
かつ、これから出会ってくださる方々と何をどうしようかなどは今のところでは見えて来ない
だけど楽しみたいのよ。
あんなことやこんなことやそんなことを
誰をも憚らずに自由自在に生きてみたいわけ
で、思いついたの。
あたし小説家になろう!物語を書こう、言葉を紡ごう、誰かの人生をも生きてみようって。
はっはっは
なに言ってんだおめえ、って?
思うのは自由よ、あなたの自由。
わたしがそうしたいからそうする、ただそれだけ。
だからこそいろんなことに出会ってきたしこれからもきっとそうなる。
一つだけ胸に刻んでおかなくちゃならないこと、は
全てのことへのリスペクトを見失わないこと…
くっそムカつくひとも、言葉も、態度も
どんなに酷い出来事だって全てはわたしのためのネタなのよ
ね。
だからきっとうまくいく
だってこの世はネタだらけだもの。
あとは拾い上げる網目の細やかさと、読み取る心の静けさと筆に乗せる熱意を忘れない、ってこと
さあさあ。新しい世界が始まる
ってことで爪を切ったのよ
え、なんで?って?
やーね、想像しなさいよ
わたしは紙と筆はつかわないの
パチャコチャとキーボードを打つのよ
長い爪じゃあ…ね。

