愛すべき血肉の縁者たち!
最後に叔父に会ったのは従姉妹がまだひとりでおすわりも出来ない頃。
叔母に会ったのはそれよりも数年前…つまりどちらとも40年以上ぶりの再会でした
が。
まあまあまあまあ!
変わってない!
えーっと思わず声を上げてしまうほどふたりは、記憶の中の姿と完全に一致していました(笑)
叔母は、約30年前に母が人工股関節を入れる手術をしたときにもお見舞いに来てくれたそうで、
母の病室を探して廊下をウロウロしていたら「まだ歩いちゃダメですよ!」と看護師さんに言われたとかで
「…あの…わたしはお見舞いに来た妹です!」
というくらいにそっくり姉妹なのですが(笑)
今じゃあ母はほとんど真っ白に近いグレイヘア、叔母さんは見事にウェーブする豊かに艶々の黒髪だもんで
見た目の印象はそんなに同じでもない…けどやっぱり似ています。
声も、表情の作り方もそっくり。
違うのは性格…これは昔から、ね(というか生まれつきでしょう)
とにかく大好きな叔母さんがあまりにも変わらないのでとても嬉しくなりました
叔父さんは最後に会った時にはまだ30代だったこともあって、こちらもすっかり真っ白になった髪の毛のせいで
パッと見に受ける印象こそ違えど
ちょっぴりシニカルな喋り方、姉二人にたじたじな雰囲気などは全く変わっておらず
昔から名前で呼び捨てにしていたこともあって、昨日もぜんぜん呼び捨てにしてしまいました(笑)
そこでわいわい話していて驚いたのは
“わたしが不登校だった頃”の話を父が嬉々として話していたこと。
不登校とは失敬な(そこ)
まあ、馬鹿げた校則に従うのがいやで学校には行きませんでしたが…(立派な不登校ww)
当時、自他共に認める仕事人間だった父は
学校に行かないわたしをドライブに連れ出そうと一念発起し、平日にお休みをとったんですって。
で、わたしを乗っけて…何を思ったか国東、両子寺あたりへ向かったそうで…
「さあ、どうだい!お父さんはこんな素敵な場所を見つけたんだけど気にいるかい?」と車の中のわたしに声をかけたところ
「コンナトコロニハキョウミナイ」と、車から降りもせずに応えたそう。
ええ!なんですと!と、遠路はるばる運転した気の毒な父は思ったそうですが、それでもすぐに気を取り直して
「じゃ、じゃあ何処なら行きたいの?」と尋ねてくれたんですって。そしたら…わたしったら無愛想にひと言
阿蘇。「アソニツレテイッチョクレ」と伝えた、と。
阿蘇ぉおおお?イマココ国東やよぉおおお?
…とは父は言わず、仰せのままに〜(とも言わなかったらしいが)阿蘇方面にハンドルを切ったそうな。
いやあ〜素晴らしい!!
お父さんありがとう。
母と越えた幾多の困難も「かわいい我が子のため」という気持ちで迎え撃った、という
確かに今こそ、その言葉が腑に落ちましたぞ。
ていうかー。
父ー。
国東はないでしょう、国東は。
反抗期の高校生には早いわよ、時期尚早よ。←
で、阿蘇に向かう道々…当時はまだ有料だったやまなみハイウェイ。
そこでわたしは「ココデオロシヤガレ」といきなり草原に降り立ち…その雄大な空の下でしばらく車に戻って来なかった、とのことでした。
そんな心温まるハートフルエピソード()は残念ながら
綺麗さっぱり忘却の彼方でありましたが…うむ。
そうよ、そうよね。やっぱりそうよ…阿蘇なのよ。
風になりたい、とそのとき思ったんでしょう。
鳥のように、ですらなく、風に。
確かに在る、なのにそれが何処から来て何処へ行くのかを誰も知らないという「風」
それになりたいと願う思春期反抗期、自分とは誰かを探し始める扉の前。
いろんな、忘れかけていたあんなこんなこと
それを互いにもう一度共有し合えたことがとても嬉しかった!
40年ていうのは一瞬なんだね、永遠の中に於いては。瞬く間ですら、ない。
幸せな時間と相成りました

