「事実」は「真実」であるとは限らない

いや、そうは言いつつ事実=真実でもあるんだけどさ。
…という禅問答的なディベートが絶えずアタマの中で繰り広げられるのは幼い日からのクセ。

放っておけばいつまでも思考の中でひとり遊びした結果
なんだよ、真実なんて結局ひとの数だけあるじゃないか…というところへ辿り着き
思考停止したいのに…はぁ。
とかなんとか絶望して自傷を繰り返す
そんなシシュンキを過ごしました(ヨクゾゴブジデ。)

さて、先月末公開された是枝裕和監督の映画を観てきたよ、というお話を聞いて
是枝監督といえば数々の受賞作があったな…と思い至り
「誰も知らない」
「万引き家族」
「怪物」
を立て続けに視聴してみました

万引き家族の安藤サクラさんの演技に惹き込まれ
誰も知らないで描き切らなかった(”切れなかった”ではないと思う)事実に思いを馳せ
怪物…

ほんっとに、考えさせられました。

学校ってこうじゃない
先生ってこうじゃない

敢えて「事実」そのものを率直には描写せず
多角的な視座からの解釈に頼ってそれを切り出して行く
そしてその更に奥でチラ見せさせるだけ。
だからこそひとはそれを追いかけたくなる

すっっっごいテクニックだなぁと
視聴後はアタマの中がぐるぐるぐるぐる…
そして、ピタり。

あそっか。物事って
「事実」は確かに在るのだけれど
誰がどんな立場、どういう心でそれを眺めるかによって
どうとでも「解釈」出来て
それを土台にして見え方が変わり
「見えたものが真実」だと思い込んでしまうひとが圧倒的多数なのだ、ということ。
そこまで辿り着けて胸の中はスッキリ

ハテしかしてわたしは
自分をとりまく環境の中の「事実」を
良くない意味で自分事にしてしまっていないかしら、と
新たに立ち現れた問いにむかってまた
悶々とあーだこーだ考えるのであーる

ひとりディベート
生涯の楽しみでもあり苦しさでもあるそれは
わたしがわたしとして生きるということそのものなのでしょう
今日もまた楽しい一日になりそうです

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