聖書と般若心経
兄弟たち、わたしはこう言いたい
定められた時は迫っています
今からは
妻のある人はない人のように
泣く人は泣かない人のように
喜ぶ人は喜ばない人のように
物を買う人は持たない人のように
世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです
この世の有様は過ぎ去るからです
〜コリントの信徒への手紙1 7章29節-31節 新共同訳〜
目に見える世界は二元論で顕すことが出来る…のだそうですが
高校の時、死ぬほど書かされた(笑)般若心経を今日、少しだけお話してもらう機会がありました
色即是空 空即是色
つまり、
形あるものは実体を持たない(色即是空)
実体を持たないからこそ、さまざまな形として現れる(空即是色)
こ、これって…同じこと、でしょう?
わたしがずぅぅうううっっと言ってる
右は左であり左は右
白は黒であり黒は白
上は下であり下は上…
あ、そうだそういえばフランシスコ会のリチャード・ロール神父の代表作は「上方への落下」
これはいつだったか知り合った方が
reicoさんの言っていることととても良く似ていますよ、と紹介して下さった本でした
その方はえーと…チベット…だったっけ
出家はされていないものの、僧侶達と同じ修行?が出来るお寺で過ごされているという方で…
はて。
わたしにとってアロンの杖のような役割を担って下さっていたような記憶。
常々思っていたのです
仏教もヒンドゥーもカトリックも
同じことを言ってる…ような気がするんです
でも仏教のことを知らないからよくわからなくて…
でも、聖書にこんなことが書いてあるんです、と投げると
仏教ではそれについてこう教えていますってお返事が返ってくるの
白は黒…というのは少し乱暴でしょうか
でもね、白は黒が無ければ白でいられないんです
つまり白にはいつでも黒の僅かな気配が含まれている
そしてそれが少しずつ、少しずつ変化して
いつしか灰色になり黒になる
でも、その黒は白が無ければ黒ではいられず
つまり黒はいつも白の気配を纏っていて…
みたいな。
あゝそんなお話がしたーい!
なぜ?それはわからないけど今はそう思っているんです
竹田市という場所に縁が在ることがわかったんです
35年前から大好きなひとがいました
小柄で華奢な女性ですが、凛とした美しい女性で
当時若かったわたしを「社会」の理不尽から庇ってくれました
今だにわたしを旧姓で呼ぶんです(笑)
うん、いつか旧姓に戻ろうかなーそれも素敵
竹田市というのはキリシタン大名の治めた町で
難攻不落の城といわれた岡城の跡があります
今、遠藤周作の「沈黙」を読んでいますが
数ヶ月かけてもまだ読み終わらないのは…
「なぜ神は沈黙されるのか」という
この物語のそもそもの問いに対して
20年以上聖書を生きたわたし自身としては
それが本当は問いとして立てられさえしないのだ、ということを知っているからで…
作中で、囚われの身となった司祭が自らを売った男に対して
「去れ」という言葉を心に覚える場面…
かつてキリストもユダにそう言った、とは言いつつも
それを「どす黒い感情」とする、それに違和感を覚えてしまうのです
果たしてそうなのでしょうか。
いくら完全なる神でありながら人でもあった、というキリストは本当に
どす黒い感情というものに身を委ねたのかなぁ
ユダが行かなければ成就しないことの始まり、だったんじゃないかと思うんです
ユダはその時点でまだきっと迷っていた…でしょう?
だからその背中を押した、そんな気がしています
わたしはとても飢えているんです、きっと。
本当の話がしたい
でもじゃあ本当って、なあに?
なんてね。
まあ良いんです。
こんな人がいてて、なんかやってる
ただそれだけです(笑)
