最も大切にしたいこと

九州のど真ん中にある阿蘇外輪山と旧やまなみハイウェイ、ミルクロード。
実際にそれと出会う前から確かに、この地域には紐づいていたなぁと思います

中学1年生の頃だったと思う
当時は東京に住んでいて、両親も親戚も近くにいて
(生まれてからずっと岩手県で過ごしたけれど、そこにはルーツもなく”親類縁者がない”状態でした)
目に見える自分というレベルではそこに縁を感じても不思議ではないはずだったけれど
まっったく「しっくり来ない」土地でした
そこで出会ったのが三好達治の「大阿蘇」

心惹かれる、という表現が最も相応しいのだろうと思います
その後わたしは、八木重吉の「ほそい がらす」という詩に出会い
森鴎外「高瀬舟」を味わうようになるのですが
それらは決して明るさや色味の多い作品ではなく
全体的に低彩度の中、わずかに異なる明度で行間を味わうようなものです
対照的なのがスイミー。

「それぞれは、それぞれである」ということが、おそらくわたしの中では”あたりまえ”として揺らぐことない前提として在るのかもしれません
これは「それぞれらしさ」とはまた違うのです

たとえば何かの種があるとするでしょう
あるものは固く厚い外皮のようなものにくるまれていたり
別のものは細かい産毛のようなものを纏っている
小さくて繊細な粒のようなそれもあり
細長くてユニークな形のものもあるでしょう

水分を多く求めるもの、日光が必ずいるもの、発芽までに時間のかかるもの、比較的はやいもの…
「らしさ」というのはそういう、各々の特徴にすぎないような気がします

例えばアボガドの種が20日大根になりたくてもなれない
梅の種がたんぽぽになりたくてもならないのに
それを望むのならそれを「あなたらしくない」と言ってと良いのではないかと思っています
つまり、「らしさ」はある意味で他者からも窺い知れること…
それぞれである、というのはもっとシンプルで本質的なんだろうと思います
あ、わたし種だったわ。って
石ころでもないし水滴でもなくて、種なんだってことを思い出すってこと

誰かに出会ったとき
あなたはこんなひとですよ、って伝えるのは簡単なことでしょ
そう、確かにわたしからはそう見えているのだから。
でも本当はもっともっと大切なことをそのひとはまだ気づいていないかもしれない
だから
あなたの好きなことはなんですか?
苦手なことはなに?
どうしてそう感じるんでしょう?

出来るだけ痛くないように
でも、少しずつ奥へ奥へ進めるように
長い年月をかけて着込んだ分厚い外套を脱ぎたくなるように
ぽかぽかとあたたかな陽だまりでありたい、そう思います
心の静けさを見失わないようにありたいものです

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