生きるとはなにか。

さぁーて久々にアタマオカシイ、フルスロットルですよ!

昨日、竹田市というところでとても素敵な出会いがあったので触発され
いっぺんわたし自身の考えってのをまとめたくなりました
テーマは「生きる」をどう捉えているか、について、ね。

根本として、ひとは「自分は誰なのか」を知るために生まれるんだと思ってる。
ぶっちゃけ、ただひとつ「あらやだ、わたしったら…なに?愛そのものってわけ?」に辿り着くための旅とでも言いませうか
なーんだ、欠損なんてどこにもなくて、”完璧”だったんじゃん…
を知る…というより感じる、それに浴するための長い長い長い旅ですわ。

そりゃあーたね。肉体というリミッターを得たわたし達は「寿命」という時間制限の中でそれにトライすることになるわけだけれども
そのリミッターがあるからこそ、「毎日毎分毎秒」の味わいが深まるってわけ。

そもそもさ、寿命って名付けられるだけあって…それはゴールへのカウントダウンなんだと思うのよ
命が減っていく、と同時に次の扉へ近づいて行くってこと。

でもね、そう簡単に「答え」には辿り着くわけもなく(笑)
いったん、今回の「生」ではファンファーレなんか鳴り響きゃしないのよ、だいたい。
でももちろんそれは罰なんかじゃないし、焦らされてるわけでもなくただひとえに「楽しむ」ための機会をそれだけたくさん得てるってことなの。

聖書にも書かれているよね
天の国がなっかなか来ないなんていう人がいるけど
それは「待って」いるんだって。
放蕩息子の例えも、それを深く感じるために用意されているわけよね
父親は門前で待っているのよ、まだかまだかと息子を待ってる。

だからわたし達は何度もトライアンドエラーを繰り返して(笑)
なんだー、探してた「愛」は此処に在ったのか、に辿り着くまで旅を続けるってわけ。

で、忘れちゃならんのが
今回の「生」がどーなってこうなってああなる、を決めたのは、他ならぬ自分自身だ、ってところなんだと思うの。
前回の「生」を鑑みて、次こそは気づきたいものだと練りに練られた企画なのよ…

考えてもごらんなさいよ
どこのわたしが、わたし自身を苦しめよう貶めようとするかしら?
そりゃ…不要なものを削ぎ落とすために多少の痛みはきっとあるわ
誰だってそうでしょう
肉襦袢着た上に鎧を着て武器持ったまま安らかに眠れる?

いつかの「生」で、自分を守るつもりで身につけたそれらは実は要らないものだったのよ
だからそれを手放すために、あれこれ起こすように企画したわけ
剥ぎ取られるの…だからまあまあ痛いけどね

あ、そうそう。
ちょっと良いこと教えるけど
痛みって、力むと余計に増すの知ってた?
ごちん、と金槌で指を打ったときも
パチン、と間違えてホッチキス指に刺しちゃったときも
それから、陣痛の波も…
息を止めてぐぬぬぅぅううううぁああああ!っと力むとますます痛いんだよ
もうね、ふーぅっと息を吐きながら白目むいてごらん
ちったあラクになるから。

それをね、精神的にもやるわけ。
ぐくぬぬう、というあったま来ることが起きたときにこそ
ふぅーっとゆるめてそのこと自体を直視するのをやめる。
ふぅーっ、ふうーっ、ふぅ…。

しばらくはそれについて考えることさえ止めてしまってかまわないの
妙におりこうぶって受け入れるフリしたり
自分は痛くないんだ、って誤魔化したり
なんなら痛み止めのつもりで別のやかましい楽しさめいたものに没頭する必要もない
ムカつくわ、という感情があることをただ感じつつも直視せずやり過ごすのよ

心が鎮ったら…凪に戻ったら
とても静かにわたしを喜ばせるものと出会いたい

わたし達は、自分が何を好み何を嫌うのかを通して「自分」の輪郭をおぼろに感じるように出来てる
その、「好き」を知るために万物は存在しているわけ。つまり道具がいーっぱいあるのよ

それはクリムトの絵かもしれない
ダリはあんまり好きじゃない、となれば何故だろう?を感じれば良いし

バッハが好き、特にチェンバロが…とか
いや南米のチャランゴや笛に心が震えるとか…
書が、土の器が、石たちが、海が、生物が、風が、空が、山が…わたし達を待っているわけね。

例えば誰かのお気に入りがあなたにとってもそうであるとは限らないし
逆もまた然り、あなたの感じるようにそれを感じ取っていたひとがいるかもしれない。
そういう仲間ともし出会えたら嬉しいね、奇跡よ!

でもさ、それれでもまだその時点が「本当の」自分であるかどうかはわからないよね
だから、ひとは交錯し続けるの。
普遍が不変であるとは限らないし、むしろその可能性のほうが高いくらいだと感じてる。
誰かとわたしは、最初から最後まで全てを同じように感じられるとは限らない。
でも、だからこそ一瞬の交差、交わりが嬉しいんだよね
それが人生の最大の楽しみの一つしれないと思うと「さようなら」だってただの区切りのひとつ
一小節を見えるようにするためのただの線かもしれないよね

巷じゃあやれツインレイだの運命の相手だのに出会い結ばれることが目的であるかのように吹聴されているきらいもあるけれど…
思い出して欲しいのよ。
目に見えない世界には「時間」というリミッターがないの
つまり、運命の相手とはこの世という「時間」を長く共有するとも限らないのよ。
逆にいうとどんなに短い時間であっても
見えない世界からすればそれは「運命の相手」なの。出会うひと全てがそう、ってわけ
大っ嫌いなひとも含めて、ね。残念な気持ちはわかるけど(笑)

目に見えない世界には終わりも始まりもない。
だからこそキリストは「アルファでありオメガである」と言ったわけ
それは彼の「全き人性」つまりひととしてのペルソナがそう言わせるわけね
でも…彼は「全き神」でもある。それって…わたし達も同じなんだよねえ。笑っちゃうけど。
それを知るために、生きてるのよ

まあなんだかよくわからなくなってきたね
この話はこの世的スケールではなかなか言葉にしにくいから仕方ない
でもとにかく、あなたはとてつもなくユニークな存在だってこと。
ユニークとは独特ってこと
良くも悪くも嬉しくも悲しくもわたし達はみんな、一人なのよ。そしてそれが全体でもある…

楽しいね今日も!

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