「らしさ」論
折も折。
10月の〆切に向けて「ああ〜書きたい」のに
ああ〜面倒くさい…ああ〜週末にしよう、いや、水曜日に
いやいや今日こそは…と
あちらこちらと書き足しては削除して
繋がりがおかしいぞ、と俯瞰してみたら俄然続きが読みたくなって、ああああああ。
という「物語」の骨組みがやっと!
やーっとなんとなく出来上がりました…長かった!
この前のものは何万文字だったっけ、確か50,000だったかな
それでも、やはり「構想何十年」(笑)
ずぅぅううーっと、言語化したかった物語だったこと
登場人物への「責任」が軽めだったことから
すいすいすすすーい、とほんの数日で書き上げてしまったのに比べて、まあ。
重かった(笑)
これも、明確にストーリーは見えていたんです
でもまず登場人物がそれなりに多かったし、テーマが大きすぎてぼんやりしてしまいそうだったし
いや、むしろそれで良いんじゃないかと思ってみたりしていたところでした
そのテーマはまあ「誰も悪くないのに悲しいことになってしまったときの、「事実」をただひたすら書き出す」
つまりわたしの大好きな「問い」を立てる
…読後に思考がざわざわと動き始めたくなる、そんな「腑に落ちない」物語になる、はず、です(笑)
慎重に向き合ったのは、それぞれの人物の「らしさ」を指し示すように事実や心情を羅列しながらも
読み手如何でどのような「らしさ」でも定義づけられるように素材を多方面に散らばらせること…
折しも四男との問答でそれについてハッと気付かされることがありました
わたしから見えた「四男らしさ」は
他者への興味、関心が薄く
自分自身が置かれている状況を感覚的に捉えた結果としてもたらされる機嫌の良し悪しの判断材料に
「他者がどうであるのか」という点を含まない、という傾向が強い。
つまり物事を「相対的に」見て、その誤差というか差異というか…(必ず在る)ズレ自体は問題視しない性格。
簡単に言うと、美味しいおやつを手にしました。
やったね!と感じ、さあ食べよう!としたところ
隣にいた兄は更にジュースももらっているのに気づいた。
この場面において、四男は
「ふーん、ジュースか。それもいいな。ま、おやつ食べよう」となる。
これが別の子の場合
「わーい、おやつだ!わーい!…ん?あいつはジュースも?え?あいつだけ?なんで?は?キー!むかつく!」
となったりする。
で、それを以てわたしは「四男は外部からの情報によっては揺らぎを感じにくい性格」と定義していました
つまり、発狂しにくい…と思っていた。
ところが四男的には「いや、いつもそうではない。割と腹を立てやすい性格だと思っている」らしく
例えば、我が家で初の「パパに組みかかって行った」話をしてくれたりしました。
ふむー、まあそう言えなくはないよなあ確かに。
というかそもそも「らしい」っちゃ何よ、「らしい」ってのは。
…なーんてね。
今回書いている本も、わたしの対外的プロフィールも「らしさ」について再考してもらいたいと思っているところなのですよ、まさしく。
既に出版が決まっている本についてはあえて
「社会通念が生み出した”お母さんらしさ”と”自分らしいおかあさん”との違いは?あるよね?あるはずなの、ちがう?」をテーマに据えてあります。
これを共有したとある方が
「いや、そもそも”らしさ”ってなによそれ」と問うてくださり、更に
「”自分らしさ”がアプリオリに正論的な位置を与えられてはいまいか」という言葉を投げてくださいました。
そうそうそれ、そうなの、そういうことなのです!
思考停止しちゃっていると思うんです、わたし達。凝り固まっている。
ジャッジして、善か悪かに当てはめて、そこから始めてリアクションするという流れにハマってしまっている。
勧善懲悪のわかりやすさが好きすぎる。だってそもそもそれによるところの善てなに?悪とは?に思い至っていないでしょう?
例えばこの世的に最も「悪」とされている「他者によってもたらされる誰かの死」は本当に、他の可能性を内包していないのか?それを問いたかった。
戦争は悪です、殺人は悪です、神がいるならなぜその悪を放置するんですか
ここからさまざまに問いを立てたい。揺り動かしたいのです
揺り動かしたい、と願うことの根幹が何なのか?それは「生きたい」から。
生きることの結果としての楽しさ、喜びを探したいから、です
正直なところこの「おかあさん本舗」についても
そもそも「本舗」っちゃ何よ?と思っていただきたかったからこそ、のネーミングでした。
わたしのすべては「は?」を生み出すこと、に繋がっている。
全「は?」に敬意を。
そしてそれこそが「アルティザンを掘り起こすためのアルティザン」でありたいわたし、なのではないかな…とかなんとか。
ああ、楽しい。
※ちなみに、「ああ、楽しい」を発すると痛いことが発生するという法則がわたしにはありまして
毎回ぐさりぐさりと剣がわたしを刺すのだけれど
これがまあほんっとに「新しい気づきへの扉」なのですわ。
わたし達は常に矛盾を内包さえすれば変幻自在、自由になれるのです。
へえ、そんじゃあ自由っちゃあなによ?
ってさ、なるよね?
なるでしょ?
でも、もう疲れたから寝ちゃう。←
こうやって放り出せる自由をわたしは持っているのだぁあああ!

