戦争
遥かなるクリスマス、という歌がある。
いつだったかどなたかに教えていただいて以来
自分が何をしたいのか、という問いに対して迷子になりかけるとこれを引っ張り出してきて聴いている
これは単なる反戦の歌ではない…というか
中島みゆきさんがご自身の「Nobody Is Right」で訴えるところと
表現としては真逆、それでいて内容は
なおピタリと一致するという不可思議。
ふたりは深く悲しみ…或いは憂いていて
みゆきさんはひたすら温もりで
さださんは時に力強く怒りを以てそれを表現する
悪いひとなどいません、なんて
生憎だけど頷けません
正しいひとこそ、いないんじゃないか?
とみゆきさんが歌えば
世界中を幸せにと願う君と
いえ、いっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる
とさださんが歌う
今日、次年度の契約についての打ち合わせがあり出向いた場所のほど近くに
「回天」という人間魚雷(なんという短絡的で安直な悲しい表現なのだろうか)の資料を掲示してある場所があるので足を向けた
いったい…
“国”を守らんがため、と
進んで命を差し出すような者がよもや在りはするかもしれない、時が時だけに…
と、心の底から信じるニンゲンモドキがこの国にはいるのだろうか。
お父さんの髭は痛かったです、と
命を散らせる覚悟をし、書き認める18歳に
守らせるべき国
…そんなものがあるのだろうか?
いっそ、いっそのこと全てが消えてしまえば良い。
誰の命も等しいのならなぜそれを願ってはいけないのだろうか?
人間魚雷などという忌まわしい武器によって確認された「戦果」とは何か。
さださんは更に歌う
いつの間にか大人達と子供達は
平和な戦場で殺し合うようになってしまった
尤も
僕らはやがて自分の子供を
戦場に送る契約をしたのだから同じこと
わたし達はいったい
子ども達になにを与え、どこに向かわせているのか。
日本の子ども達の死因の第一位は自死
奇しくも今日の打ち合わせでわたしのボスは
これについての講演を行ったばかりだ、と言って資料を見せてくれた
死線を彷徨う子ども達をサポートする教員が
圧倒的に不足しているという事態を
国は認めており、それ故に調査を中断し新しい資料を掲示していないことを
ボスはとっくに資料から読み解き、訴えている
この国は狂っている
首長の首をすげ替えても
わたし達の意識が変化しなければ何も動かせない
わたし達はいつでもやり直せる
本気でそれと向き合いさえすれば。
このメッセージをたくさんの小さな誰かに手渡したい
わたしのためではなく
今日、消えかかっている命のために
力を貸して欲しい
誰か、わたしに。

