オカンこそが愛の最高峰である理由
オカンは愛だ。
異論は認めない!←強気
ま、しかしオカンというものの定義なんてものがあるとすればそれは
子を産んだ女性、ということだけではないと思っているので…
ほんならなんでオカンに限定したのか、という素朴な問いも聴こえて来そ…
黙らっしゃい!
ここはわたしのサイトよ!
わたしが何をどう吠えようが詰ろうがかまわないの。
それが個人のサイトというものなのよ
XでもInstagramでもfacebookでだって、ましてthreadsでも
こんなことは一度だって呟いたことなどないの(小心者)
ていうか、まあこういうことよね。
オカンてアホなんでしょうね
本人はそういうつもりも無いんだろうけれど
何処とはなく抜けてるというかムダが多いというか。
「あーあ、またか。オカンだからしゃあないか」
と、相手に言わしめる能力?的な?←
例えばわたしは「コーキュー」なお食事では満足出来ないんです
100みゃんいぇんのディナーコースがあったとして
どんなに素晴らしい食材をドヤられたところで
お?…お、おぅ。ってなるだけ
もちろん美味しいんです、美しいし素晴らしいとは理解する
でも、「満足」ってなんなんでしょね
たぶんそれって
旅行帰りのオカンが必ず
「あぁー、やっぱり家が一番だわぁ」って言っちゃうアレと同じなんじゃないかと思います
旅行ってどんなに素敵でも、所詮は非日常なわけで
あ、イヤもちろんそれはスパイスみたいなもんで…
えっと、あの、その、まあ「良いもの」ですよね(汗)
だがしかーし毎日それじゃあ疲れちゃう、というか。
ベース(平々凡々な日々)が揺るがずにあるからこそ、それを楽しめるわけでしょう…きっと。
で、そんなこんなでオカンは全てにおいてのベースたるものなんじゃないかなぁと思うんです
ご飯だって、毎日作るけど。
アートだって、たしなむけど。
オカンアートの最たるものってやつが昔は日常に散見していました
クソださの手作りのモノを思い返せば殆どがオカンの手作りもしくはオカンチョイスだったでしょ
でも、不思議なことに憎めない…それどころか
情報のあふれまくっている昨今となっては
みんながみんなエセアーティスト、エセブロガー、エセ批評家、エセ料理人。
表面的に取り繕って悦に入っているけれどその実それはただのハリボテだったりする。
ホンモノとそうでないものの違いってなんなんでしょうね
やたらとキラキラしたものばかりになってしまった現代は何処へ向かうんでしょう
特に「古き良き日本」が持っていた、とされるどこにも無くなってしまったもの…
あなたは見つけられていますか?
え?それとオカンが愛であることがどう結びつくのか、って?
だーかーら。
ここ書いてるのが誰だかご存知ないんですのぉう?
オカンの話はいつも思いがけないところに着地(墜落)する
これがデフォルトでしょ!やーねえ。
そそくさとエプロンで手を拭きながら小走りで逃げるわたしが見えたら完璧ですww
