社会というミクロフローラにおけるキラー酵母としての我々

この世だとか、家族だとかいう環境(ミクロフローラ)を醸成させるために与えられるキラー酵母としてのわたし達

おーもーしーれー!

なんのことか、わかる必要はない
それとして生きるひとがいるという事実が既にあるわけだから。

ワインだって日本酒だって
醸造の過程にはあれこれあって
バランスを失えば着地点が変わる

あくまでも酒蔵ではそれらを「美味い酒」にしようと企てているわけだから
ある視点からのそれでなくなることが「失敗」と評されるのは致し方のないことだろう

でも、わたし達は知っている
それさえが、まだ発露の気配さえ見せていない「次なる局面」の序章と”なり得る”
つまり我々自身こそが
それはそうであるのだ、と決めさえすれば…

おーもーしーろーい(再)

失敗なんつーものは
わたし達がある一点をそれだと決めてしまうからこそ生まれるのだ
その先の巡りを止めてしまうこと、それ自体が違うというのに。

さて
ではそれをどう表現して行くのか。
各々はそれとして既に獲得している「道具」を使いさえすれば良い

混沌を恐れず…しかし畏れを以て
そこから
そこであるからこそ
数限りない秩序を浮かび上がらせることのできる世の中になったのだ

やっほーい!
(意味不明)

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