3.11

「日本、大変なことになってる」と妹からの連絡があって
ポチ、っとテレビをつけてみた2011年3月11日午後。

11番目の子の誕生を5月に控えていたわたしはその日
いつものように妊婦健診を終えてのんびり過ごしていました
自宅での出産は決めていたけれどこの日は確か産婦人科での健診だったと思います
遅いお昼ご飯を食べ始めた矢先の連絡

画面の右下には日本列島のおなか側を赤い線が縁取っていて津波警報、という文字が点滅し
画面いっぱいには壊れたお家のカケラや車を飲み込んで川を遡上する波、逃げ惑う車、人々の叫び、音を立ててぶつかり合う家々が映し出されています
日常の気配が次々に異様な光景に飲み込まれて行く様子を
まるで別世界の出来事であるかのようにぼんやりと眺めていました

暦の上では春目前
けれどまだまだ現地は寒風が吹き遊び、あまつさえ雪まで舞い始めました

岩手県釜石市出身のわたしが30年以上
もう一目だけでも眺めたいと切望した風景は
その日のうちに半分以上が剥ぎ取られて行き
そこに暮らす同級生達の心に生涯消えない傷を残しました

その地から遠い遠いここ、九州のおへそでは
その日を境に「生き直すこと」を受け入れた二人が出会い
そして童心回帰農場が産まれました

きっかけとなった日から15回目の春
童心回帰農場ではやはり「生き直すこと」を始めている
マークパンサーさんが駆け回り、清々しい笑顔を見せていました

この春の開場は童心回帰農場にとっても新たなる門出
東側のヒルトップのまだその奥に新しい「ルンヒロ広場」が誕生すべく
同志の皆さんが集まって額を寄せ合ってはルン爺の設計図を解読し
魔法のように次々と運び込まれる道具と
楽しくて仕方ない、という皆の笑顔によって大型木製遊具が姿を表しています

それを眺めながらわたしは少し怖くなったんです

ここには、互いへのリスペクトと善意しかない。
それぞれが自分自身の一部を喜んで差し出していて
それに対する見返りなど誰も求めていません
ダヴィンチも描いたフラワーオブライフ…これは”どのように”維持され得る”の?
誰かひとりでも欠いてしまったとしたら…?

自分自身がまだまだ”社会適合者”だけが正しいと考えていることを痛感するのでした。
イニシャルコストノネンシュツ、ランニングコストタイサク、コスパ、タイパ、マネタイズ…
何度も何度も何度も繰り返し諭され、準備不足と指摘されたそれら。

311によって洗いざらい流されてしまった後
わたし達の中にはなにが残っていたのか
深く自分に振り返るよう促されました

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